2010年11月1日月曜日

葵紋その2・・御三家の家紋

よく図書館でお会いする、刈谷市の郷土史の研究科の方より、
「水戸黄門の格さんが出す印籠の御紋は、水戸家のものではない
水戸家の家紋は三つ葵でも三つとも裏葉のはず。」
との話があったが、私は自信がなかったので調べて回答することにした。

まずインターネットで情報を得たが、原本での確認が必要と思い
沼田頼輔『紋章学』を調べると(葵紋)の項に御三家の家紋についての記述があった。
更にその元は天野信景(さだかげ)著の随筆『塩尻』とあった。
天野信景と言う人は江戸時代尾張藩の国学者となっているが多岐にわたる知識人(暇もあったみたい)で、特に随筆『塩尻』は全千巻あり、現存するのは150巻あり、『日本随筆大成』の13巻から16巻に納められているらしい。この情報を元に図書館の司書の方に依頼すると、驚いたことに第一期、第二期、第三期の三種類あることが分かり、目次を見ると第三期が該当。従って第三期の13巻から16巻の提示を頂き読む事にした。
前置きが長くなりましたが、『紋章学』『塩尻』の該当部分を記述し検討に入ることにします。
尚不明部分(アンダーライン)には私見を注釈した。

徳川氏が葵紋を独占し、一門親藩のみにこれを用いさせたことから、本末を区別するために、葵紋もまた種類を増し、六葉葵・花葵・蔓葵・寄葵などの別が生じるようになった。
その他一門の中で用いる葵紋にも、たとえば表裏の別、蕊すなわち葉脈(*1)の多少などによって、その別を設けるようになった。
『塩尻』七一にはこれに関して左の記述がある。
敬公(*2)の御時にや、ご紋のすがた大樹(*3)と同じさまなれば
、・・(中略)
尾張家は葵の表葉二ッ裏一ッ、紀伊殿は表葉一ッ裏二ッ、水戸殿は3ツながら裏葉を附べきよし仰を蒙り故に、命のままつけ侍る。
・・・(後略)

上の記述によると、葵紋に表裏の別を設けたのは家康のときであったようであるが、『武鑑』その他諸大名の家紋を記したものを見ると、 
この別が厳然と行われたと言うことはないようである。

しかし後世になって、調度の器具などには(*4)、しばしばその別を示したものがある。

   以上が『紋章学』葵紋についての記述です。
これに注記解説を加えると
*1)蕊と葉脈は全く別物で間違いと思われる。植物図鑑等の解説より、蕊とは植物のオシベ、メシベという生殖器をさし、葉脈とは葉身の中を通っている維管束で水分・養分の通り道。

*2)敬公とは尾張徳川家祖である義直(家康の9男)
*3)大樹とは徳川家康のこと  
*4)紀州徳川家所蔵の調度品の蒔絵に用いた葵紋、家康より松平左近が賜った旗の中に描かれた裏葵紋など

因みに徳川宗家の「丸に三つ葵」と『塩尻』に書かれている水戸家とされる「丸に三つ裏葵」 を示す。

徳川宗家の「丸に三つ葵」 最終形

『塩尻』において水戸家とされる「丸に三つ裏葵」

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