2012年8月6日月曜日

不明紋が解決 「仏立の丸」

2012年6月26日に投稿した下記不明紋・・京都のM氏から「仏立の丸」であることを教えて頂きました。
その内容は以下の通り。
「京都の宥清寺の寺紋で、このお寺の墓地ではほとんどの墓にこの紋が刻まれていた。
また京都市内の各所でこの紋を家紋とは別に入れているお家も多い。」
これが初めてであった墓標
宥清寺の寺紋
ではなぜこの紋が「仏立の丸」??
今回はこの謎解きに挑戦しました。
(納得した今は単純すぎて恥ずかしい思いです。)

結論として 文字紋 「仏」「立」に違いないと確信して解読した結果
上半分は「仏」 左側はにんべん「イ」、右側はつくり 「ム」」
下半分は「立」 中心部分にぜんまい状の渦巻きに惑わされました。

しかしはじめ皆目見当がつかず、図書館で悪戦苦闘、司書の方にも援助を頂き資料集め。
以下の調査の結果、文様ではなく「仏立」の文字

【宥清寺】とは・・『仏教宗派事典』より引用
京都市上京区にあり、日蓮門下で最古の寺院(元本門寺)
仏立開導日扇聖人が明治2年宥清寺に入り、仏立講の根本道場とした。

【本門仏立宗】とは・・『仏教宗派辞典』より引用
日蓮系、
安政年間に長松清風(日扇)がたてた宗派

【日扇】とは・・・『本門仏立宗のホームページ』より
文化14年(1817)京都生まれ
旧弊で形骸化した教団と対立し、決別
一般在家信者と<本門仏立講>を開講

【本門仏立】とは・・・『仏教文化事典』P927在家主義の項より
日扇は法華本門の教えに帰依後、還俗し、
町民6名と在家主義の仏立講を開いた
本門仏立講とは、法華経本門を広めるために、
仏が立てた講であり、他の宗派「人立宗」であると見た。


0 件のコメント:

コメントを投稿