2011年6月6日月曜日

鷹の羽紋

鷹は鳥類の食物連鎖のピラミッドの頂点に君臨する王者。

鷹狩は古くから武人だけでなく公家たちの憧れの武芸であった。

又 鷹の羽は矢羽として最高の品。

必然として武家の紋章として多く採用された。

紋章としては、鷹の姿そのものは希で、圧倒的に鷹の羽を扱ったものが多かった。

近年私が生活拠点としている2都市
刈谷市と飯田市の寺院・霊園の墓石から家紋を集めて比較検討を行ったところ、
鷹の羽紋 特に「違い鷹の羽」は飯田市のほうが圧倒的に多かった。
ちなみに 飯田市では3位、刈谷市では17位でした。
飯田市で多かったのは清和源氏の小笠原氏との結びつきが大きかったことに起因したのではないだろうか?
実は飯田市伊豆木に小笠原書院(国重要文化財登録)の管理人である久保田安正編著「小笠原屋敷ものがたり」に小笠原家が用いた矢羽について詳しく書かれているのでその一部を紹介します。

弓は古来より武具として最も一般的なものであった。
戦いが終わった後には 必ず敗者の首実検が行われ、首級の確かめがあり、
誰が射止めたものか?その矢羽によって射手が判明すると褒美が与えられました。
したがって矢羽は武士の名誉につながるものとして個性的なものが用いられた。

矢羽に用いる鳥類の羽は小笠原家の文書によると
『一ニタカノ羽 二ニ真羽 三ニ山鳥 四ニトキノ羽 五ニ白鳥ノ羽』
と書かれています。
真羽とは鷲の尾羽のこと、トキは昔盛んに矢羽に使われ乱獲されていたようです。

小笠原家では格式の高い鷹の羽を用いました。
羽には斑文といって模様があり、小笠原家では53種類もの多くが使われていたようです。
その代表的なものを紹介しますと
タカウスヒャウ 大中白 小ツマグロ 妙法 蓮花 大中黒・・・等

以上 小笠原家について詳細を書きましたが
鷹の羽紋は「伝統の十大家紋」の1つでもあり、使用家も多い。

江戸時代に例をとると
広島藩主の浅野氏「芸州鷹の羽(丸に鷹の羽違い)」(羽に渦巻きがある)
芸州鷹の羽
芸州鷹の羽(丸なし)













福山藩主の阿部氏 「鷹の羽違い」(羽に斑点がある)

安部鷹の羽













赤穂事件で名高い浅野内匠頭も「播州鷹の羽(斑入り鷹の羽)」(羽に付く渦が広島の宗家とは異なる)

丸に違い鷹の羽浅野氏

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