2010年10月28日木曜日

薬師如来の守り神 十二神将の疑問

十二神将(*1)は日光、月光菩薩と共に薬師如来の守り神といわれておりますが、
2008年8月に山岡荘八著『徳川家康』を読んでから一つ疑問が沸いてきました。

それは『徳川家康』1巻”今生未来”の項において、
臨月を迎えたお大が、侍女の百合に鳳来寺の峰の薬師へ行って
寅年の守り神”真達羅(しんだら)大将 
を盗んでくるように命令する下りがあります。

そこで、インターネットで検索したところ”寅年”は迷企羅(めきら)大将
となっていました。
どちらが正しいのだろう?
まさか山岡荘八が間違うわけも無いであろうに?
この疑問がずっと頭の片隅に残っていました。

ところが今年10月に山梨県勝沼市へぶどう狩りに行った際、帰路で勝沼ICの近くの大善寺に立ち寄ったところ、国宝薬師堂に十二神将があり 住職に前述の『徳川家康』の疑問をぶっつけたところ、
住職いわく「経典により、並び順が逆になります。従って寅年の守り神は変わります」との話でした。

早速自宅に帰って過日調べたインタネットの十二神将の並び順を見直してみると、
逆から見れば確かに”寅年”は後から三番目で真達羅大将となります。
これだと『徳川家康』と合致!

因みにインターネットの記事にはの経典は「薬師瑠璃光如来本願功徳経」となっていました。

しかし『徳川家康』、鳳来寺の経典は何か不明です。
どなたかご存知の方教えてください。

参考までに
(*1) 十二神将について(経典は「薬師瑠璃光如来本願功徳経」

鳳来寺

子年 宮毘羅大将(くびら)・・太刀を持つ・・・・・・・亥年

丑年 伐折羅大将(ばさら)・・宝剣を持つ・・・・・・戌年

 寅年 迷企羅大将(めきら)・・独鈷を持つ・・・・・酉年

卯年 底羅大将(あんてら)・・太刀を持つ・・・・・・申年

辰年 額爾羅大将(あにら)・・矢を持つ・・・・・・・未年

巳年 珊底羅大将(さんてら)・・法螺貝を持つ・・午年

午年 因達羅大将(いんだら)・・鉾を持つ・・・・・巳年

未年 波夷羅大将(はいら)・・弓矢を持つ・・・・・辰年

申年 摩虎羅大将(まこら)・・斧を持つ・・・・・・・・卯年

酉年 真達羅大将(しんだら)・・斧を持つ・・・・・・寅年

戌年 招杜羅大将(しょうとら)・・太刀を持つ・・・・丑年

亥年 毘羯羅大将(びから)・・・・・・・・・・・・・・・・・子年

4 件のコメント:

  1. こんにちは。あさみです。
    自分の師匠に尋ねましたら下記のように答えていただけました。
    師匠は、仏教系大学で学んでいらっしゃいますがお坊さんではありません。だから宗派や思想にとらわれず仏教のことに精通していらっしゃいます。
    そして、わかりやすい言葉で教えていただけますのでありがたいです。

    同期会の帰りに、〇〇さん(失念!知多の方)に電車の中で戒名についてお伝えしました。(師匠の文を読んだだけですが)
    本当に感心されていました。

    『薬師如来について説かれたお経は、「薬師瑠璃光如来本願功徳経」を含めて4つ現存していて、すべてを総称して薬師経と呼びます。
    薬師経には、薬師如来には人々を救うために十二の大願(誓い)があり、人々が悪行を改め、善行をおこなうならば、病苦、欲、迷いなど、十二の苦しみから救われると説かれています。

    十二神将も、それらのお経の中に登場しているのですが、十二という数は、おそらく薬師如来の十二の大願にあわせたものだと思われます。
    しかし、薬師如来と薬師経を信仰する者を守護するとしか書かれておらず、何年生まれの守護本尊などといった内容は一切書かれていません。

    薬師経と薬師信仰が伝わった中国では、古くから薬師如来と十二神将が造られていて、 有名な敦煌の壁画にも十二神将が描かれています。しかし敦煌の壁画は武将の姿をしておらず、菩薩のような慈悲の姿をしています。
    十二神将が武将の姿で作られるようになるのは唐の時代からで、その頃から、各神将を十二支に配して、方角や昼夜十二時の守護神とする信仰が生まれます。

    つまり、十二神将=十二支の守護神は、薬師経に由来する信仰ではなく、後から出来てきた信仰ですね。

    日本では平安後期以降、十二神将の頭上に十二支の動物を乗せた像が作られるようになり、生まれ年の守護神としての性格が強くなっていきますが、新薬師寺、広隆寺、仁和寺など
    天平時代や平安初期などの古い十二神将像には、十二支の動物は見られません。

    十二神将と十二支を配当の仕方については、昔の僧侶がいろいろな説を書き残しています。
    お寺によって異なっている例があるのは、お経の違いではなくて、古くから伝わっている考え方の違いによるものです。』

    返信削除
  2. あさみです。
    コメントを投稿しましたがなかなか表示していません。
    間違えたのかな?
    このコメントを投稿してみますね。
    すぐ表示されたらもう一度、十二神将について書きますね。

    返信削除
  3. あさみさんへ
    結局 貴女の師匠によると十二神将と十二支の関係は経典の違いには無関係で各お寺の言い伝えということですか。
    でもそうであれば お寺の数だけ十二神将と十二支の組合せがあっても良さそうですが、今のところ正・順の二種類しか知りません。もしこの疑問についてご存知でしたら教えてください。

    返信削除
  4. こんばんは
    師匠に私の書いたメールを読んでいただきました。
    自分も読み間違いをしていたようです。
    師匠からのメールです
    『こんばんは。
    まだ調子が悪いので簡単にしかお答えできませんが、
    日本のお寺における十二神将と十二支の関係については、
    各お寺の言い伝えによるのではなくて、
    十二神将と十二支の関係について書かれた書物によるものです』

    経典由来ではなく経典から考えられた副教材みたいなものが存在し「十二神将と十二支の関係」が色々書かれているのでしょうね。

    返信削除