2010年8月3日火曜日

マツモトセンノウ・・・植物名の由来

<出典>「植物名の由来」から抜粋
ナデシコ科のマツモトセンノウは1875年「新訂草本図説」に信州松本に自生していたとの記録。
1919年牧野富太郎曰く ①松本でなく支那から渡来 ②松本幸四郎の紋所に似る。
(②の説は他の図鑑、ネット上でも同様の記述あり)
しかし②の説は誤りと言わざるを得ません。
松本幸四郎の紋「四つ花菱」
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ナデシコ科マツモトセンノウの花
根拠として 松本幸四郎が生れる以前にマツモトセンノウはありました。

わが国最初の園芸書「花壇綱目」1681年(延宝9年)に記載されているとのことです。

松本幸四郎の家紋は「四つ花菱」別名「柳澤花菱」ですが、初代1674年下総生れ、1714年に幸四郎に改名、以降代々幸四郎襲名し、七代目は「勧進帳」の弁慶で有名。
1820年の古川柳に「高麗べりは花菱のように見え」これは時代から5代目幸四郎の代のもの。
四花菱をの紋を幸四郎の屋号”高麗屋”に掛け、畳の高麗縁にたとえたもの。

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