2012年5月24日木曜日

初めての四国周遊3日間

阪神交通社trapicsの二泊三日旅行に行ってきました。

阪神交通社の旅行は【新幹線グリーン車・食事はすべて込み】が 売り です。

行程をざっと紹介します。
①名古屋7:58発こだま695号グリーン車、乗車するとすぐ弁当。

②新大阪からバスで明石大橋を渡って淡路島の淡路SAで休憩
・明石大橋の主塔間隔は建設時は1990Mでしたが、
  あの阪神淡路大震災で1M広がり現在は1991Mに。
淡路SA
③大鳴門橋を渡り、鳴門公園うづら屋で昼食・・渦潮は午後4時ごろの予定で、この時は小さい渦
大鳴門橋 鳴門公園で食事

④高松自動車道で金刀比羅宮まできました。

ここから御本宮まで785段 41人全員上れました
⑤小歩危、大歩危・・大歩危過ぎた辺りから雨

⑥雨はすぐやみ高知市に入り、夕食処で『土佐海御膳』
・・かつおのたたきをニンニクのスライスと一緒に・・美味い! 
土佐料理です・・美味しかった

  食後バスに乗ると、ガイドさん車内の臭さに参った!

⑦高知新阪急ホテル着・・風呂に入ってバタンキュー

⑧5月18日
 5時起床、一人で市内散策(高知城、鏡川)のあと、朝食バイキング

早朝の高知城

⑨8時バスで市内観光(高知城とはりまや橋)のあと、桂浜の坂本竜馬像・浜辺散策
『糸のもつれとはりまや橋は どこが端(橋)か わからない』

⑩ドライブイン四万十で休憩・買い物

⑪船宿「なっとく」 船上昼食 ゆったりとした四万十川に癒されました。
この船内で昼食・・船頭さんのガイドもたのしい

⑫宇和島「真珠会館」で買い物。

⑬大洲・砥部・内子を通過して、一路松山市内のホテルへ

⑭到着後、マイクロバスで「道後温泉湯本館」へ
明治の面影を残す温泉「神の湯」

⑮ホテルで夕食 バタンキュー

⑯6時起床し一人で市内観光(義安寺・道後公園)のあと、朝食バイキング

⑰リンリンパーク「乾物小魚とみかん」 宅配

⑱今治タオル美術館

⑲糸山公園で昼食としまなみ大橋眺望
糸山公園からしまなみ海道 来島海峡の潮流は非常に速い
⑳大三島 大山祇神社

㉑伯方の塩

㉒岡山駅から新幹線ひかりグリーン車で夕食
祭りずし 鬼退治した桃太郎の気分で頂きました

㉓名古屋駅着




2012年5月21日月曜日

大きな金環日食 見てきました

中日新聞で今回の観賞会を知り、早朝から車で出かけました。
場所はJR中央線定光寺駅北徒歩5分の廃坑トンネル内。
この企画の最大の特徴は
「60センチの大きい日食が裸眼で観賞できる
ところです。
画面の歪みはスクリーンのせいです

仕掛けはこの装置です。「愛岐トンネル群保存再生委員会」の方が制作した
独自の装置とか。
その仕組みは
①中央の小さく白い四角の板に円形の鏡で太陽をとらえる。
その鏡は北極星に向いている軸が回転しており、太陽を自動追尾する。

②反射した映像を手前の大きい鏡(裏側はベニヤ板)で60M先のトンネル内のスクリーンへ
裸眼で見ても、目に障害を与えない。

説明を追加
そのほかにもいろんな光景がありました。
・竹筒で作ったピンホールカメラ

・木漏れ日が作る「三日月?」
これは本当に不思議な光景でした
こんな素晴らしい天体ショーを見れて

本当に幸せです!!!

NPOの皆様本当にありがとうございました。








2012年5月14日月曜日

はなのき湿地保全作業

今日はハナノキ保全作業の日です。
駐車場・観察コースの周辺のゴミ拾いと雑草刈取り及び木道を塞いだ
ハナノキ(胸高直径10センチぐらい)を起こす作業をしました。
ハナノキを傷つけるのを最小限にして、倒れた木を起こせばよいか?
私を含めた素人数人と山林作業のプロの方2名と樹木医1名の3名を中心に、
いろいろ意見をだし、ハナノキと私たちの共存方法を話し合い、決定しました。
その結果 次のような見事な成果となりました。
しっかり支えられ、根付くのを待ちましょう

お蔭で木道は通り易くなりました。

大きな仕事をやり遂げたので、
昼食の後は、有志数人で湿地内の草花を撮影することにしました。
まずは木道の傍のヘビノボラズには、かわいい黄色い花が咲きました。
近くの杉の大木を伐採したので、ヘビノボラズの株がたくさん増えました。
ヘビノボラズ

次にカザグルマ。
一昨年、樹木が生い茂り、日当たりが悪くなったので、周囲の木々を伐採。
その結果日当たりが改善され、こんなに新しい蕾がたくさんできています。
5月末から6月初旬が楽しみです。
カザグルマの蕾

最後はオオムラサキの幼虫です。
県道脇のエノキの大木はやっと新芽が出始めたところですが、
なんとかわいいオオムラサキの幼虫が、若い葉っぱにしがみついていました。
葉と同系色のため見過ごしていましたが、蝶の専門家が教えてくれました。
初夏には例年通り、この辺りを乱舞してくれることでしょう。
オオムラサキの幼虫

2012年5月1日火曜日

「西洋紋章の世界~自分の紋章を作ってみよう~」

4月19日夕方、見出しの講座を受講しました。
本音を言うと本当は日本の家紋の方が好きですが、
市民だよりで案内があったので申し込みました。

場所は昨年出来立ての「刈谷市総合文化センター」
予想外は、講師が女性、受講者も12人中10人が女性で男性は私を含めて2名だけ!
テッキリおじさんばかりと思っていましたが、思わぬ嬉しい誤算!
2時間講座で、前半は西洋紋章についての講義
後半は準備されていた教材を使って、自分の紋章をつくる。
自分紋章の教材は、白い台紙と各種色紙

準備された教材です

講座の内容は
1、身近に見られる西洋紋章
2、イギリス王家の紋章とキャサリン妃の紋章
3、紋章には厳しいルールがある
4、実際に自分の紋章を作ってみよう
5、紋章とカリグラフィー

講師・主催者側で準備された教材は色紙(赤・緑・黒)と
黄色(紋章では金属色の”金”を表す)だけで、その他はすべて下手な手書きになりました。
受講生に合った教材『チャージ』(具象図形:ライオン、鷹など)が
各人のプロフィールから教材を準備されていましたが、
私はその『チャージ』一切使わず、事前に用意しておいた「カール・フォン・リンネ」(西洋紋章では唯一研究した スウェーデンの植物学者)の紋章を真似て作りました。
自信作(?)はこれです。


参考までに簡単に解説します。

・リンネは自分の研究の中で重要なものを紋章のデザインにしました。

・楯の中央に”卵”(リンネはすべての生命の源は卵と見なしていました

・三つに分かれているのはそれぞれ鉱物界、植物界、動物界を表します。
(リンネの時代は博物学が最高の学問で、こんな『三界説』だったようです。)
・・・西洋紋章で決められた七色の内の三色(赤、緑、黒)を使いました。

・紋章の周りは、リンネの名のついた、リンネソウ(Linnaea borealis)で縁どられています。

リンネソウは名前からは草本と思われますが、実は木本です。
・・・一番上のピンクの花を2つ付け(両側をリュウゼツラン?が描かれています。)

・楯の背面は”ローブオブエステート”が配されており、
その上に葉のついた蔓が描かれています。
・・ここで大発見がありました。
(そんな大げさなことではありませんが、肝の小さい私としては大発見!)
実は図鑑等調べた限りでは、リンネソウの葉は”対生”となっていましたが、
今回ナットで得た画像は、左側の蔓の部分の葉は対生になっていましたが、
右側の蔓の葉が互生になっていいるではありませんか!
・・・・そこで対生に直して書きました。

今回の講座で感じたこと
・紋章に30歳前後の女性が興味を持っている。
・西洋紋章のルールの知識が深まった。






2012年4月16日月曜日

≪実録≫墓石家紋 第2弾 不明紋・珍しい家紋

≪実録≫全国墓石家紋めぐり
大変遅くなりましたが4月17日紋ちゃんの助言を参考に名称を追記しました。(2012.05.14)
平成21年末から 自分の足で歩いて収録した墓石の家紋だけを使って、『自分辞典』を作るという趣旨で開始以来、丁度3年目を迎えます。
当初は在住の刈谷市だけの寺院・墓地の家紋を集めるつもりでしたが、欲が出て全国展開することとなってしまいました。
当面1000種類の収集を目標として頑張っていましたが、このたび(4月15日現在)1103種となりました。
先日、豊田市の古瀬間墓園で、珍しい家紋・名称の分らないものが多くありました。

もしご存じならお知恵を拝借したいと考えています。

まず最初①は 伊地知姓ですが名称がわかりません
:この姓は、姓氏家系歴史事典によると、「越前島津家臣」で、
家紋としては、「組井桁」、「繋ぎ変わり十の字」など
・・・十の字を絡ませたように見えないこともないのですが・・・

華鬘結び

②は一見「三つ巴」かと思いましたが、実は丁子紋。
「三つ丁子巴」でした。山本姓でした。


三つ丁子巴
③これは初めてお目にかかりましたが、「丸に花筏」だと思います。
今も時期、桜吹雪のなか、筏に乗って川下りは実に風流です。
橋本姓でした。
丸に花筏
④外周は「雪輪」ですが、雪輪の中が分りません。
昔見たことがあるようですが思い出せません。
鹿敷姓です。


雪輪に六つ若松

以下⑤中山姓、⑥襄姓は全く見当がつきません。どなたか教えてください。


丸に三枚笹

桔梗飛び蝶

2012年4月5日木曜日

キスミレを見た!

3月29日 自然を楽しむ仲間15人と春の湖西連峰を歩きました。
10時豊橋駅に集合、バスで30分「葦毛湿原」に到着。
温暖な春の陽気で、そよ風が気持ちいい!
ヤマウグイスカグラ・ショウジョウバカマ・ハルリンドウに出会う。
ヤマウグイスカグラ・・上品に咲いていました

ハルリンドウ・・木道から手を伸ばしてブラインド撮影

葦毛湿原を通り過ぎ、尾根伝いにアップダウンを繰り返しながら、TV塔分岐点
カタクリ自生地で昼食の後、
キスミレ(絶滅危惧Ⅱ類)自生地へ。
キスミレは日本では阿蘇山、静岡県富士宮市の朝霧高原)ほか数か所しかないそうです。
初めて見るキスミレの可憐さに感動しました。
ちょっと失礼して、花弁の裏を覗かせていただきましたが、
距がほとんど見当たらないのに驚きました。
待望のキスミレとの出会い

カタクリ
東山(松明峠)から東に浜名湖、南に太平洋、西に豊橋駅を見下ろす。

二川駅に着いた頃には喉もカラカラ

豊橋駅で反省会
店も一番すいている時間帯で、店も大サービス
1時間半で喉も潤い反省会終了し、解散

2012年3月27日火曜日

春の準備

3月24日は耕運機マメトラを持ち出して畑を耕しました。
このマメトラは6年前この地を開墾して赤そばを栽培するために購入した耕運機です。


耕運機は一年間使ってなかったのでエンジンをかけるのに苦労しました。

1時間かけて夕方までかかって畑を耕しました。
2週間前、近くの道路脇から持ち帰った枯葉を山にしていたので、土の中へ耕しこむのに苦労しました。
そのあと、苦土石灰をまく予定でしたが、冷たい北風が強くなったので翌日回し、薪ストーブで体を温め、晩酌で内臓も温めました。

ところが翌25日朝、起きてみると、外は真っ白に積雪。
当日はネバーランドでそば打ち愛好会の総会のためそのままにして根羽村へ出発。
根羽村では1日中雪で南国(名古屋、豊田方面)から来る人は、時ならぬ大雪で遅刻する人が数人いました。
早めに切り上げ、飯田箱川に帰ってみると、雪はすっかり止んでいたため、苦土石灰と化学肥料をまき、明日のエンドウ豆の苗をまく準備。


翌26日朝、畑に出ると、霜柱で長靴で踏みしめるとバリバリと音がする。
少し温まるのを待って、もう一度マメトラで
中央道飯田インター傍の「リンゴの里」でえんどう豆(赤花、絹さやの2種類)の苗を各9本買いました。

26日朝は氷点下、ベランダは昨夜の雹がまだ溶けてなく米粒状態
土の表面は霜柱でかちんかちん、長靴で踏みしめるとバリバリ
えんどうの苗に小さい支柱を立てました

夏になったら、たくさんの実りを期待して、水遣りをして支柱を立ててやりました。
これで終了と思っていたら、薪ストーブの灰が残っていたので苗の間に撒いておきました。


2012年3月13日火曜日

雪景色

2週間ぶりに飯田の別荘へ行きました。
当日は一日中雨のため、早めに就寝して,
翌朝早起きしみると窓の外は一面の銀世界。
真冬の雪はふわふわ舞うように降りてきますが、
今朝の雪は湿っぽいためか、
まっすぐ落ちてきます。

早速カメラと双眼鏡を首にぶら下げ散歩に出かけました。

雨は止んでいましたが、朝日で溶ける雪のシャワー!!
最初の関門は、しとしと降ってくる雪ではなく、ヒノキからドサッと落ちてくる雪でした。

もう少し歩を進めると、柿畑。
2月初めはまだたくさんの柿が残っていましたが、今ではすっかり「へた」だけになっていました。


牛小屋の近くの牧草畑まで来たとき、生理現象をもようしたので、
何十年ぶりに日本地図を書いてみました。
いやに黄色いのが気になりました。


2012年3月6日火曜日

十割そばとわさびとそば湯割

久々に十割そばを打ちました。
と言うよりは・・つなぎの地粉を計量するのが面倒だっただけです。
室温6℃とだんだん暖かくなってきて、指も以前のように冷たさを感じません。

先週末 妻が伊豆旅行に行きわさびを買ってきたのでその「消化作業」の一環で、
昨日は刺身、本日はざるそばと相成りました。

使ったそば粉は倉科製粉の「あずみの」500g。加水は52%。
年末の年越しそば、先月末の友人・知人への宅配では2キロで打っていたので、
玉が小さすぎて妙な感じ。

また寒いときは温かいカケそばでしたが、今回は「伊豆のわさび」を使うためざるそばです。
昨日刺身の際、すりおろしたすぐ食べるより、少し時間を置いた方がピリ辛でしたので、
そばを茹でる前におろしておきました。

いよいよ今年初めての「さるそば」
すりおろしたわさびを麺の上に直に降り掛けて汁につけ、ズルズルッといきました。

実にうまい!

 もっちり感!

やはり「ざる」が一番!
1杯目 左:わさび、中:、天ぷら、汁 右:そば
2杯目 そばの上にわさびを乗っけて食べました
薄っすらと緑色が見えるでしょうか?
これがよく効くんです
ざるそばを食べた後、
蕎麦湯に焼酎を入れて、「そば割り」を二杯飲みました。
今日はそば焼酎を用意していなかったので、泡盛「古酒 久米仙」
これもまたそば焼酎に劣らず美味い!!
至福の夕食でした。


2012年3月1日木曜日

菊芋の手前味噌漬け

以前(2011年3月7日)のブログで「手前味噌の作り方」を載せましたが、
その味噌が昨年末に出来上がり、年末から我が家で味噌汁に使い始めました。
ところが一昨年の味噌が大量に残り処分に苦慮していました。
(蛇足ですが、大量に残った原因は柚餅子を作る量が予定より少なかったためです。)

そんな折 ”飯田およりてファーム”へ買い物に行ってところ、菊芋を発見し即2袋を購入。

友人に菊芋ファンがいるので、彼のために菊芋の手前味噌漬けを作ることにしました。
その漬け込み方を紹介します。
味噌さえあれば非常に簡単です。
大小織り交ぜて一袋百円でした
①まず”手前味噌”を敷き、その中に菊芋を埋め込む。

②更に手前味噌を敷き、菊芋を埋め込む

③その上を手前味噌で覆い密封して完成です。
左のツボに一昨年の手前味噌です。
出来上がりです
④これで約一か月で褐色の菊芋が出来上がります。



2012年2月23日木曜日

あの家紋 柏か? 夕顔か?

先投稿で太田姓の家紋について記載しましたが
蔓の内にある葉が何であるか?





気になって仕方ないので下記参考文献のデーターを
いろんな角度から検討することにしました。
柏なのか、夕顔なのか?
参考文献
①『姓氏家系歴史伝説大事典』志村有弘編
②『日本家紋総監』千鹿野茂監修
③『日本紋章学』沼田頼輔著
④『都道府県別姓氏家紋大事典』千鹿野茂著
⑤原色牧野植物図鑑』(牧野富太郎)
⑥『図説草木辞苑』

まず①③から太田姓の出自と「葉と半車」合成紋の関係を要約すると
 
・三河 岡崎の太田氏-ー家紋(夕顔蔓の内に源氏半車)
・藤原氏 秀郷流太田氏ーー家紋(夕顔内源氏車)、(蔓丸内源氏車)
          ・・・・・すべて「夕顔」を採用している
次に②の収録数から
車紋では 全110コの内 半車は8コ更に蔓と葉の合成紋は1コ(1%)のみ
「蔓柏に源氏車」・・・・ここでは柏を採用している
注記には太田氏(三河国より起こる藤原秀郷流)豊橋向山霊園他

柏紋では 全463コ その内で車紋との合成紋は0(ゼロ)
・・・・柏紋と車紋の繋がりは希薄のようだ

夕顔紋では 全15コの内 半車との合成紋は6コ(40%)もあった。
さらに3者(夕顔・蔓・半車)の合成紋は4コと
・・・・非常に関連が大きい

次に④から
愛知県の名字から家紋と出自を抜粋する
名 字    家紋名               出自
太  田   大田桔梗         清源多田氏族
(おおた)  石持地抜き片喰     三河藤秀郷流
左三つ巴         藤秀郷流
夕顔蔓に片輪車    藤秀郷流   
丸に剣片喰       三河藤秀郷流
丸に違い鷹の羽     藤秀郷流、清源族
丸に桔梗        清源 多田氏族
丸に釘貫        清源、頼親流
丸に橘          橘氏族
丸に蔦          清源、新田氏族
・・・・やはり夕顔を採用している

更に前投稿「太田氏の系譜と家紋」で紹介した17コ(具体提示は4コ)の
墓石家紋について⑤と実物を照合・比較
特に葉の特徴から
柏紋では側脈4,5対に対してとカシワは7,8対
夕顔紋では側脈5対に対してユウガオも5対
・・・・・・・近似性から夕顔に軍配(実物に忠実な家紋の場合)

尚 ⑥において
かしは(柏)::::出典:日本書記・万葉集の記載が多く、食器の代わり、神事の道具としての使用

ゆふがほ(夕顔)::出典:源氏物語(夕顔、末摘花、玉蔓)に記載、
*家紋:夕顔花、蔓夕顔、夕顔葉源氏車、破車夕顔 など
源氏車・夕顔の関係が非常に強い

更に加えるに、半車の名称について、上記*のことを考慮して
①の解説では「片輪紋」の発音を嫌って「波切紋」となっているが、
「半源氏車」としたい

以上 私が信頼している以上の6文献の解析・考察結果より、


下記家紋の正式名称(個人的)を
抱き蔓内に抱き夕顔葉と半源氏車」

又この家紋に限って名前を付ければ、明らかに蔓から葉が出ているため
「抱き葉付き蔓夕顔に源氏半車」

というのはどうでしょうか?
たいぶ長たらしくてすみません・・





太田氏の系譜と家紋

最近安城市内のある墓地で驚きの光景を見ました。
総数70基の小さい墓地でしたが、その約半数が太田姓で、
全て「蔓源氏柏」・・この名称については詳細を後述します。
しかも本家・分家の関係であろうか?
蔓の太さと形状・葉の形状・半車の形状が少しずつ異なっていました。
ざっと14種類くらいありました。
そのうち数例を挙げると
太い蔓、大きい葉、正半円の半車

細い蔓、蔓から出た葉、桁太長

細い蔓で先端が鉤状、小さい葉、扁平半車


極太蔓、細長葉、超偏平半車

太田姓の出自と家紋の関係を
『姓氏家系歴史伝説大事典』(志村有弘著)、
『日本紋章学』(沼田頼輔)、『大大名の系譜と家紋』(丹羽基二著)から抜粋・集約すると
太田(大田と併記)姓は地名から発祥。各地に地名があり諸流があり、多岐にわたっている。
・清和源氏ー新田氏の傍系里見氏系ーー家紋(丸に蔦)
・清和源氏ー義光の後裔佐竹氏系ーー
・清和源氏ー頼光流 土岐発祥で丹波国桑田郡太田に移住ーー家紋(細桔梗)
太田道灌もこの流れ
三河国 出自多様:岡崎市にはこの性が多い
-ー家紋(夕顔蔓の内に源氏半車)
(番鴛鴦)、(蔓の内に半車)
・藤原氏 秀郷流太田氏      ーー家紋(夕顔内源氏車)、(蔓丸内源氏車)
・      足利市の系統      --家紋(井桁の内打違え鷹の羽)、(丸に桔梗)

やはり安城も岡崎に近いので太田姓が多く、
家紋も(蔓源氏柏)が多いのは頷けます!





2012年2月13日月曜日

三河一向一揆 本證寺

2月11日午後2時から歴博講座「藤井松平氏の出羽上山藩主時代」があるので、
事前調査のため午前十時に自宅出発。
知立バイパスで藤井インターを降りるとすぐ本證寺に到着。
車は近くのお店の駐車場をお借りしました。

山門
山門前に立ち周囲を見渡してビックリ!
周囲の内堀、東の角に櫓、境内西側には鐘楼とまさしく城郭のような構え!

手前が内堀、右側が櫓、左が山門


本殿も威圧感がありました。
広い境内で、写真には写っていませんが右に前述の櫓、左に鐘楼。

山門から本殿を望む

しばらく境内散策ののち、駐車場のお店に入りみかんを購入。
おかみさんに「立派なお寺ですねー」というと、
「内堀ばかりでなく外堀もあるよ」と教えて頂いたので周囲を歩いてみた。
橋の欄干の右側日陰の境に「そとぼり」の小さな石碑
残念ながら、外堀の名残があるのは10m程度で、すべて造成された口化されていました。
「そとぼり」の石碑もあと何年残るでしょうか?

再度お店によって話したら、「内堀には夏になると蓮の花が咲くから見においで」と教えてもらう。
内堀の方はピンクの花、外堀の方は白い花が咲くそうです。

午後の安城歴史博物館での講座「藤井松平氏の出羽上山藩主時代」で
 家康が頭を痛めた一向一揆は*三河三ヶ寺の一つである
この「本證寺」が主導的に一揆をおこしたことを知る。

講座終了後 帰宅して数年前読んだ 山岡荘八「徳川家康」を取り出しページをめくって新たなことを思い出した。
当時 家康は22歳で、岡崎城主として勢力拡大しつつあった。
永禄6年(1563)家康の兵糧米の徴発に端を発して一向一揆が勃発。
配下の家臣が本願寺派門徒であったため、多数の家臣と敵対することになった。
そこへ母であるお大(久松の妻でもあった)から、「もし一揆に加担したものを誅罰したら、事件は収まるが、松平の力は半減、そこが見えない敵の最も望むところ」、「真の御仏のおしえにしたがいなさい」の助言で一揆は好展開した。
ここに家康の精神面の成長を見るとともに、お大の方の影響力を再確認させられました。

 現地を見た上で「徳川家康」を見直してみて数百年前をイメージしています。
*三河三ヶ寺(野本の本證寺、佐崎の上宮寺、針崎の勝鬘寺)