2012年8月28日火曜日

小春ちゃんとそば打ち

パパの1週間遅れの盆休みで千葉から小春ちゃんが来ました。
名古屋水族館、昼食バイキング等で行楽一段落したので、
いつものように一緒にそば打ちをしました。
小学校1年になりましたので、以前より手捌きがよくなりました。
ほっぺにはシールを貼っています
(そば粉ではありません)
 
こうやって打粉を落とすんだよ!
 
やったー!
 



2012年8月27日月曜日

ガマの穂

9月のハナモニは7人参加。
そのうち1名は神奈川県から特別参加のササの研究者。
今までは単に「ネザサ」と記録していましたが、
ササの先生に見て頂いたところ「肩毛が稈に平行、粗渋でない」
初めて聞く言葉でめんくっらてしまいました。

Bコースにでると休耕田に生えたガマを発見!
瞬間「因幡の白ウサギ」を思い出しました。
そこでウサギはガマのどこで直ったのか、何が効いたのか?
会員のOさんに持ち帰って顕微鏡写真も撮ってもらいました。
ガマの穂を折ったところです


断面顕微鏡写真

毛綿の顕微鏡写真 小さな種があります


 ワニに赤裸にされた兎が臥せっているところに八十神(大国主の兄弟)が通りかかり、『傷を治したければ海水を浴びて高い山の上で風に当たって寝ていろ』と嘘を教え
 ます。
 そのとおりにしたところ海水が乾くにつれて身の皮が風に吹き裂かれました。

 そのあとに通りかかった大穴牟遲神(オオナムヂ、大国主命)が傷み苦しんでいる兎を見つけ、事情を聞き、次のように教えました。
 『河口に行って真水で体を洗い、そこに生えているガマの花粉(蒲黄)を取ってその上で寝ると良い』と。
 その通りにした兎は元の体になったと言う話です。
ところで日本書紀に書かれている赤裸にされた因幡の白ウサギはガマのどの部分を使って直したのだろうか?
原文では、「蒲黄」となっています。漢方では「ガマの花粉」を蒲黄(ほおう・ほこう)とよび、止血剤、増血剤、鎮痛剤、消化剤、利尿剤として用いられ、また、切り傷や軽いやけどには患部に直接塗布するとも言われます

しかし唱歌では蒲の穂綿となって
 いずれにしても「大黒さま」の作詞者が「蒲黄」を「蒲の穂綿」に置き換えたため、「蒲の穂(または、穂綿)が傷を治した」という誤解につながり、自然解説などで、「歌にもあるように蒲の穂が白兎の傷を治した」という解説をし、聞く方も納得してしまうという光景が現出することになってしまいました


唱歌「大黒様」        作詞:石原和三郎
                     作曲:田村虎蔵
 1.大きな袋を肩にかけ 大黒様がきかかると
   ここに因幡の白兎 皮をむかれて赤はだか

 2.大黒様はあわれがり きれいな水に身を洗い
   蒲の穂綿にくるまれと よくよく教えてやりました

 3.大黒様の言うとおり きれいな水に身を洗い
   蒲の穂綿にくるまれば 兎は元の白兎

 4.大黒様はだれだろう 大国主のみこととて
   国をひらきて世の人を たすけなされた神様よ


果実が熟してくると雌しべの子房の下の柄が伸びるので、雌花穂の直径が大きくなり、ついには破裂するようにほつれて、果実が風に乗って飛び散る。これが穂綿である

夏の夕暮れ

南信州の片田舎
夕暮れの空を眺めていると何やら空中を動く物体。
よく見るとそれは小さな蜘蛛でした。
薪ストーブを支えている針金にどこからか上ったみたいです。
5m位のところにどうやって登ったんだろう?


デッキの椅子に座ってしばらく蜘蛛の巣つくりを観察することにしました。
(蜘蛛は働いているのに人間はぼんやり口を開けて見上げている)
最初針金から少し下を数回往復していました後停止。
どうしたのかと考えているときでした。
突然蜘蛛が急降下!
蜘蛛も巣から落ちる?
そうではありません。
地面に落ちたかと思ったら次の瞬間には急上昇し、もとの横糸にたどり着きました。
なるほど!経糸を作った訳でした。
それにしてもまっさかさまに急降下は勇気ある行動でした。
関心関心






2012年8月18日土曜日

不明紋・・半分解決?・・キーワードは「三つ」

二年前名古屋市平和公園で巡り合ったしたの家紋(下図)が今回の主役です。
名称がわからずいろいろ手を尽くしましたがいまだに不明のままでした。
ところが「あるきっかけ」で半分解決した気分になって今回取り上げました。

丸を「Yの字」で三つに仕切られ、各々「丁盤?、州浜?」のようなものが一つずつある。
(これは今回も未解決のままでした。ご存知の方は教えてください。)

名古屋 平和公園 塩谷姓


西洋の紋章でも「Yの字」で三つに仕切って、ある紋章があります。
それはスエーデンの植物学者リンネの紋章です。
(正確言うと、「区切り」ではなく、このYの字はオーディナリーズの一つで、楯の上にY字の帯を置いてある。)
西洋紋章は厳格なきまりのもとに、具体的・写実的だと思います。
因みに リンネは18世紀博物学で「三界説」を提唱、楯の赤・緑・黒の3色は鉱物界・植物界・動物界を表し、中央の丸の中は全ての生命の源とみなした「卵」を表しています。
尚上部中央の花は彼が愛した「リンネソウ」です。
リンネの紋章

話が横道にそれましたので元に戻します。
日本の家紋はデフォルメ・抽象化・省略が多くわからないことばかりで苦労しています。

今年6月のブログ「不明紋」に対して「仏立の丸」であるとコメントで御教授頂いた、
京都の家紋研究家であるのMさんのブログを見て
歴史読本に「家紋拾遺譚:難読紋・奇紋」が連載されていることを知りました。
早速図書館へ行き、保管されている2009年10月号から2012年2月号までの39冊を借出しコピー。
家に持ち帰り読んでいたところ、2009年12月号『盛り塩紋の謎』に巡り合いました。
このページを見て頭に衝撃が走りました。
「ガ~~ン」
「盛り塩紋」・・この紋のモチーフが・・・・
『日本家紋総監』にはこの記事のように沖縄の紋章のページにベンツマークの中心に小さい〇のあるものは見たことがありましたが、上下逆で中心に小さい丸のないものはこの記事ではじめて知りました。

以下に2009年12月号『盛り塩紋の謎』の記事に関連して
私にとって興味深かった内容を列記します。

<三つ寄せ盛り塩>
・モチーフを盛り塩と見た点
   残念ながらこの発想は全くありませんでした。
・塩商人 『姓氏家系歴史伝説大事典』によると、「塩谷は塩屋に通じる」とあり、とありやはり先祖は塩商人であったのでしょうか?
・伊勢神宮の食事を司る豊受大神を祀ってある 
 食事の調理に使う塩 お払いをするところで、ここには「三つ石」がおいてある。
 神事では三つ寄せることでお払いの力が出るということを知りました。
<立ち砂紋>
・立ち砂紋・・貴人の車寄せに置き、輿や車の轅(ながえ)軛(くびき)を立ち砂に置く
        メルセデス・ベンツと同様「車」に関係?
        使用家は二階堂氏と六郷氏。
       二階堂氏は「三つ盛り亀甲に花角」の家紋を現在に引き継いでいる。
        「三つ」と「盛り」を大切にしているのではないか?


話が中途ですがひとまずアップして、ご存知の方のお知恵を拝借したいと思います。








2012年8月14日火曜日

箱川早朝散歩

曇り空の朝 デジカメもって南信州の朝を探しに出かけました。


早速マツヨイグサ 濁りのない黄色が素敵です。


見晴らしの良い畑まで行くと、2週間前は元気のよかった大型ひまわりがすっかりこうべを垂れていました。

今年の春分けて頂いたタラノキはすっかり大きくなりました。
来春はもっとたくさんタラの芽を頂けそうです。
Iさん来年もよろしく。








2012年8月6日月曜日

不明紋が解決 「仏立の丸」

2012年6月26日に投稿した下記不明紋・・京都のM氏から「仏立の丸」であることを教えて頂きました。
その内容は以下の通り。
「京都の宥清寺の寺紋で、このお寺の墓地ではほとんどの墓にこの紋が刻まれていた。
また京都市内の各所でこの紋を家紋とは別に入れているお家も多い。」
これが初めてであった墓標
宥清寺の寺紋
ではなぜこの紋が「仏立の丸」??
今回はこの謎解きに挑戦しました。
(納得した今は単純すぎて恥ずかしい思いです。)

結論として 文字紋 「仏」「立」に違いないと確信して解読した結果
上半分は「仏」 左側はにんべん「イ」、右側はつくり 「ム」」
下半分は「立」 中心部分にぜんまい状の渦巻きに惑わされました。

しかしはじめ皆目見当がつかず、図書館で悪戦苦闘、司書の方にも援助を頂き資料集め。
以下の調査の結果、文様ではなく「仏立」の文字

【宥清寺】とは・・『仏教宗派事典』より引用
京都市上京区にあり、日蓮門下で最古の寺院(元本門寺)
仏立開導日扇聖人が明治2年宥清寺に入り、仏立講の根本道場とした。

【本門仏立宗】とは・・『仏教宗派辞典』より引用
日蓮系、
安政年間に長松清風(日扇)がたてた宗派

【日扇】とは・・・『本門仏立宗のホームページ』より
文化14年(1817)京都生まれ
旧弊で形骸化した教団と対立し、決別
一般在家信者と<本門仏立講>を開講

【本門仏立】とは・・・『仏教文化事典』P927在家主義の項より
日扇は法華本門の教えに帰依後、還俗し、
町民6名と在家主義の仏立講を開いた
本門仏立講とは、法華経本門を広めるために、
仏が立てた講であり、他の宗派「人立宗」であると見た。


2012年8月1日水曜日

夕顔雑記

久し振りに飯田市鼎(かなえ)のおよりてファームに行ったところ珍しいものを発見!
以前から探し求めていた「夕顔」すなわち「干瓢」があり、早速購入。百五十円でした。
(なぜ探し求めていたかについては後述)
細長く長さ45cm、太さ20cmぐらい。
幼少のころ岡山の故郷で収穫していて、巻き寿司の具材にしていましたが、
それよりずっと細長いものでした。

早速干瓢つくり

 別荘に帰り早速干瓢つくり最初に輪切りにして

次に包丁で薄く長く(実際はイメージ通りに切れず、太く短く)リンゴの皮をむく要領で
苦労の末御覧のような出来栄えです。

ところで先述の探し求めた「夕顔」
実はこの家紋は、一般的には「二つ蔓源氏柏」

といわれていますが、私の調査結果(過去ブログ)の通り、
実は「柏」ではなく「夕顔」ではないかと考えています。
そこで一度種か苗を入手して花を観察したいとの欲望にかられ、
ネット通販で売り切れの多い中(夕顔の種意外と人気があるのか、それとも種自体が少ないのか)アマゾンでやっと種を購入。
しかしこの種は「干瓢」でなかったので、植えるのを中止。そのままになっていました。

話変わって
「夕顔」から連想されるのはやはり「源氏物語」ではないでしょうか?
源氏物語における夕顔は
光源氏17歳のころ、六条御息所を見舞った際、隣家の塀に咲いている夕顔が目に留まり、随身に折り取らせると、女童が出てきて 夕顔の花を載せて扇を差し出す。
香を薫きしめた白いその扇には

『心あてに それかとぞ見ゆ 白露の 光そへたる 夕がほの花』

の歌が書き付けたあった。

源氏物語色紙絵夕顔

その後 光源氏は夕顔の家に通うようになるが、ある日ある女に呪われて夕顔は息絶えてしまう。
という物語。
夕顔の花は、夜しか咲かない かくも儚い花なのでしょうか?


・・・・・夕顔に関する想像はとめどもなく続きます。