2012年6月26日火曜日

不明紋の研究・・袴田姓の家紋

上記の墓石家紋は浜松の墓園で見かけた「袴田」姓のものです。
名称がわからず、知り合いにお尋ねしたところ、
家紋ではなく、単なるマークではないか?との回答を頂きました。

しかし、どちらも「袴田」姓というところが気になって仕方がありません。
数か月放置していましたが、諦めきれず、図書館へ行って再調査してみました。

 
いろいろ検討した結果、本日の結論は

『変わり三つ巴文字丸』

 
⇒ではなく
「仏立の丸」・との事でした
・京都宥清寺の寺紋でした(家紋研究家のM氏からの教えて頂きました。2012.8.2追記)
(無理を承知で結論ずけてみました)
それではその根拠(調査結果)を解説します。
一)まず直感的に角字風にみると
「クサカンムリ」と「立」の組み合わせ文字にも見えます。
『漢語林』大修館書店で発見「苙」リュウⅰ)檻(おり) ⅱ)よろいぐさ。紫蘭
二)次に私が最も頼りにしている資料の一つ
『日本家紋総監』(千鹿野茂著)の巴紋から

どうでしょうか? 一見最初の2つのと比べると
、・中心部のぜんまい状の形状の有無
・三分割の形状

三)次に現在の「袴田姓」はどんな家紋が使われているか?
『都道府県別姓氏家紋大事典』(千鹿野茂著)で調べてみると、
下記のように出自と家紋によって六つに大別されます。
家紋「左三つ巴」a,cのうち 静岡県はc.


a:豊後国大友氏族  家紋はすべて「左三つ巴」
北海道、青森県、埼玉県、和歌山県、広島県、香川県、愛媛県 

b:伊勢国渡会氏族
東京都「丸に梅鉢」、神奈川県「丸に橘」 和歌山県「抱き茗荷」、京都府「丸に蔓柏」

c:遠江国藤原氏族
静岡県、愛知県は「左三つ巴」、岐阜県は「丸に剣片喰」

d:桓武平氏族  宮城県「七曜」

e:安東氏家臣  秋田県「丸に三つ柏」、「丸に木瓜」

f:出自不明  鹿児島県「木瓜」

四)次に袴田姓の出自について
『全国名字大事典』(森岡浩著)によると
袴田【はかまだ】静岡県の名字。
県西部に集中しており、特に浜松市に多い
戦国時代は井伊氏の家臣に袴田氏があった。
江戸時代には遠江国各地に袴田家があった。
豊田郡二俣村(浜松市)の袴田家は橘姓といい、代々名主を務めた。
このほか、伊勢国渡会郡袴田(三重県)発祥の袴田氏もある。
軒数順位は全国1000位台、最高は静岡県87位(1000軒以上)

以上より
もし「左三つ巴」の変形・派生の文様であると信じつつ・・・
最初の結論に至りました。

そば打ち・・・不調からの脱出

最近そば打ち超不調です。加えて風邪をひき体力不足。
ひたすら人の打っているのを見て自己反省。
でも今日は2名からそばを依頼されていたのでゆっくりやってみました。
そば粉(スーパーあずみの1.2k)つなぎ(地粉0.3k)計1.5k

1、水回し   水700g計量
第一加水 : 大きい溝を作り、 450g・・中央より粉に早く行き亘はず。
         気のせいか バラケが早いような気がした。・・今後もやってみる。
第二加水:パン粉上の粉平面に、150g
第三加水:手振りも含め92g  残り58g
加水率 43%
大きな溝を作りました
2、くくり・菊練・へそだし
加水はバッチリ(いつも通り43%) 満足のいく状態でした。
練りは棒練双方向、四角練
菊練で艶もよく出ました。
3、丸延し
①地延し
試しに、外周つぶしなしでやったところ、やはり凸凹
  いつも通り きっちり平らにします。
中央を凹面、順次外周へ
②麺棒延し 直径72cm
  いつものように 『平泳ぎ』
3、四つ出し 
①一次延しで長さ114cm
②二次延しで、
③開いたところ 幅84cm、縦86cm
   狙い(幅出し省略)の寸法が出ました。・・最近では最高の出来!

開いてこれから肉分けに入ります
4、タタミ
8枚タタミ


5、切り
一コマ 25カット 140g

6、計量
パックは自己密封式・・Oさんから分けてもらったものを初めて使用
              ポリで梱包不要

Aさん8人前、Bさん4人前、自宅残りの3人前・・昼食で味見(麺が良く閉まっていて良かったです)
     
2人前280グラム

2012年6月22日金曜日

ガイドさんに聞いた言葉(四国ツアーで)

5月中旬に四国一週ツアーでガイドさんから聞いた、含蓄のある言葉を集めました。

<丸亀うちわについて>

・伊予竹に 土佐紙貼りて 阿波ぐ(扇ぐ)れば
讃岐団扇で 至極(四国)すずしい

*「丸亀うちわ」は江戸時代1633年(寛永10年)に、金毘羅大権現の別当、
金光院の住職が考案したものと伝わる。
渋うちわに「金」の文字印を入れて、金刀比羅宮参りの土産として全国に広がった。
マダケを素材とした「男竹丸柄」で、柿シブを塗って作り上げた丈夫なものであった。

<香川県に伝わる教え>
・子供叱るなり、来た道じゃ 年寄り叱るなり 行く道じゃ
*昭和の3世代同居、近所付き合いの多かった日本のの風景が目に浮かびました。

<はりまや橋「がっかり名所」に因み>
・糸の縺れとはりまや橋は どこが端(橋)かわからない

江戸時代に、高知の豪商である播磨屋と櫃屋(ひつや)は、本店が堀で隔てられていた。この両者の往来の為に架けられた私設の橋だたそうで、元々大げさなものではなかったんですね。
・・それよりペギー葉山の「南国土佐を後にして」で全国に知られるようになったようです。
*民謡【よさこい節】 の語源
諸説あるが、よさこい=夜に来い=今夜いらっしゃい
幕末、高知城下に起こった僧純信と鋳掛け屋の娘お馬との恋愛事件からとった歌詞。
*はりまや橋

<空港などの愛称>
一般利用者向けの愛称は多くの場合、知名度向上と利用促進活動などを目的としているようです
駅名
さぬき高松うどん駅 JR四国121系(国鉄最後の戦車)

<空港>
正式名   「愛称」
高知空港 「高知竜馬空港」

徳島空港  「徳島あわおどり空港」
静岡空港  「富士山静岡空港」
米子空港  「鬼太郎空港」
丹波飛行場 「コウノトリ丹波空港」
紋別空港  「オホーツク紋別空港」
釧路空港  「たんちょう釧路空港」
松本空港  「信州まつもと空港」
対馬空港  「対馬やまねこ空港」

2012年6月18日月曜日

天生湿原

6月14日(金)自然楽会の仲間24人で、合掌作りで有名な白川郷の東にある、天生湿原へ行ってきました。梅雨時なのに好天に恵まれ、珍しい植物にも出会え、楽しい旅でした。

7時半金山駅北口を出発、10時には天生峠着。
全員で準備体操をした後、天生湿原目指して登山開始。


休憩所付近では、オオカメノキ(大亀の木)とミズバショウ(水芭蕉:既に花期は終わっていました)の群生地。
オオカメノキの花の香りに気付いた今回が初めてでした。群生していたことと開花時期の条件がベストだったためでしょうか?
オオカメノキ 
又 山筋でムラサキヤシオを発見!
今までにシロヤシオ、アカヤシオは柿其 ( かきぞれ ) 渓谷で見たことはありますが、ムラサキは初めてでした。

カツラ門付近ではたくさんの珍しい花々に出会いました。
キヌガサソウ(衣笠草)、サンカヨウ(山荷葉)、ツバメオモト(燕万年青)

衣笠草 葉が8枚以上にならないと花が咲かないとか

山荷葉 葉の葉脈・花茎の関係が不思議

ツバメオモト かわいい花・艶のある葉

カツラ門 大きなカツラの木が迎えてくれました
最後に天生湿原について
標高1400m、国道(俗称:酷道)沿い
天然記念物に指定されていて、湿原の分類上高層湿原に属す。
ホロムイソウ(世界中で1科1属1種)の本州では非常に珍しいそうですが、私にとっては何の変哲もない茅にしか見れませんでした。
中央の細長い植物

2012年6月12日火曜日

釜タマうどん

6月5日(火)NHKのTV番組で乾麺うどん特集を見ていたところ、

一番気に入った『釜タマ』!!!

乾麺で美味しいのなら、手打ちうどんな絶対うまい!!!!!!・・・ハズ

早速うどんを打ち、『釜タマ』を作りました。


「釜揚げうどん」の卵とじ といった感じでしょうか?

予め温めていたどんぶりに卵を割って軽く混ぜておき、
そこへ鍋の茹であがったうどんを一気にザルで移します。

そこへ醤油をかけ、素早くかき混ぜる。

すると、醤油の香りがし、卵の黄身が全体に絡まってきます。

早速いただきます。

うまい!!!

後日 いろんな食材を加えて味わってみました。

なかなかいけます。





2012年6月3日日曜日

天ぷらそば・・新玉ねぎがうまい


昨日は、飯田の知人がそばを食べに来ることになっていましたが、取敢えず11人前打ちました。

ところがところが11時になっても12時になっても来客なし。

我慢できず電話したところ、急用のため来れないとの事。

さて困ったと思っていたところへ、ハナモニ仲間のOさんがひょっこり「コケイラン咲いてたよ!」の報告あり、2人前引き取ってもらいました。

しかしあと9人前残っています。

昼食で2人前は今朝とってきた蕨・ノビルの球根と庭の新玉ネギを天ぷらにして食べました。

ノビルの球根と新玉ねぎのスライスした天ぷらは絶品でしたが、

蕨はさすがに灰汁がきつくて食べれませんでした。近所の人が蕨は夏になると灰汁が強くなると聞いていましたがその通りでした。

その後夕食ではビールの後にシンプルにザルで1人前。

残り6人前となった今朝は昨日の反省を踏まえて、写真のように天ぷらには新素材を採用しました。

天ぷらの説明

手前:サヤエンドウ3個、右:ネギ坊主4個、左:新玉ねぎ(今朝6時の朝取り)スライス4個
これで2人前を食しました。

残った4食は、新玉ねぎとネギ坊主を添えて刈谷の友人宅へ持ち込みました。

飯田9時出発、刈谷着11:30.

以上がそば消化作業の一部始終でした。

そばの食べ過ぎでまだおなかにそばが残っています。