2012年12月19日水曜日

更級そば第2弾 茶そばを打ちました。

更級そば第2弾 茶そばを打ちました。早速昼食で食べましたがなかなかの味でした。前回は初体験の 爲500gでしたが、今回は700gとしてさらに抹茶を16g混ぜ込みました。更級そばの難しさは更級粉に熱湯を素早く混ぜ込む「湯もみ」と、「延し」・ 「切り」の工程で麺帯に弾力がなくくっつきやすい事! 従って普通のそば打ちでは「切り」は一コマ30回ぐらいでやっていますが、今回の更級そばの場合は 5回ですぐ駒崩し(一回分の切り終えたそばを包丁でユサユサ揺すって切断面に打粉をつける操作)が必要になります。写真は駒崩しをやった後ですが、だらし なくなっています。やはり加水量が多すぎるので水分をどこまで減らせるか?第3回目はこれに重点!加水の最適値が見つかれば「切り」も普通にできるは ず!!!

2012年12月15日土曜日

ゆず茶つくりました

今年もゆず茶を作りました。毎年ゆずの入手で苦労していましたが、今年は阿智村のラックで入手できました。
材料はゆず16個、氷砂糖 1000g
比率でいうとゆず1に対してグラニュー糖ゆず重量の半分量くらい

作り方
1:ゆずをよくあらい、ヘタをとって4分の1に切り、種を取り除く



4:ゆずの皮を細い千切りにしてこの時 薄皮の白い部分、果肉も一緒に細かく切ります
本には「ゆずの皮の裏の白いわたの部分を、スプーンでこそぎとります」と書いてありますが、我が家ではすべて切り込みます。
これは一昨年幸田町筆書きの里でおばさんから聞いた方法です


5:
全てきり終わったら、氷砂糖と交互に広口瓶に入れます


これで約1週間寝かせます

美味しい美味しいゆず茶(ゆずジャム)でっきあがり~
お湯にといて飲むと風邪予防に
ヨーグルトに混ぜてさっぱりとパンに塗ってもめちゃうまです!!
1週間後に飲んでるところをfacebookでアップします。

2012年12月4日火曜日

尹良神社

先週の飯田行はいつもの153号線の途中からルート変更。
どんぐりの湯・トンネル出たところから右折し、面の木峠・茶臼山経由で151号線へ向かうことにしました。
あと数キロで151号線のところで左側に神社発見。
「尹良神社」です。ここは16年ほど前、下條史学会在籍中のときの研修会「尹良親王の史跡巡り」で尋ねたことがありました。
尹良親王立像
入口に尹良親王の立像があります。聞いたところによるとこの像は竹下総理の「ふるさと創生事業」の1億円で作ったと聞いています。

すぐそばにはハナノキ自生地となっています。





ヤマドリ

村の猟友会が仕留めたヤマドリ

ネバーランドのレストランで調理した残りの羽を若者が身に着け乱入!
ヤマドリのきれいな羽にウットリ
 
背中の主翼中心はまだピンク色の肉塊が残っていました。

2012年11月21日水曜日

富士五湖巡り

久し振りに投稿します。

念願の富士五湖巡り

途中甲府インターを出て武田神社、恵林寺にお参り

JAに立ち寄ってブドウ果汁・甲州産の干しぶどうゲット

一般道を通って一路河口湖畔のホテルへ向かう。
しかし時間が早いので富士吉田道の駅まで行き周辺の情報入手した後

河口湖畔のホテルにチェックイン。窓から夕日に染まる富士山を眺める。

翌朝ホテルを出て最初の湖①山中湖へ
 

河口湖へ引き返す途中で「忍野八海」に立ち寄る。富士山の湧水の透明度に感銘!水深8Mの底がはっきり見える。

②河口湖では霧が深く、富士山もすっぽり雲にかかっており早々に
第三番目の③西湖は強風で吹き飛ばされそうでした。


④精進湖




最終目的地⑤本栖湖は日が沈みかけ、千円札の富士はやはり本物!!


帰路はカーナビに逆らって悪戦苦闘の末、結局はカーナビ通りに一般道を通って甲府南インターへ出ました。
飯田到着は20時過ぎ。

2012年10月23日火曜日

ハナモニ(9月)ヤクシソウ

9月21日(日)定例のたねほさんハナノキ湿地のモニタリング。
暑かった夏が終わりやっと木々が色付いてきました。
山道脇のコバノガマズミ、オトコヨウゾメ・・赤い実が多いです。ツルリンドウ、ヘビノボラズ・・

赤い実のヘビノボラズ・・今年は実が多い
この時期は花が少ないのでちょっとさみしい感じ。
その中で黄色い花のヤクシソウを初めて知りました。(今まで知らなかったのは私だけ!)
葉が薬師如来の光背に似ているのが名前の由来だそうです。

黄色い花のヤクシソウ・・葉ははたして如来の光背に似ていますか?
『ヤクシ』で思い出したのが今月初めに上高地で教わった「スダヤクシ」。
ズダヤクシュ
その時は歩きながら写真を撮ったので、自宅に帰ってネットで調べたら「ヤクシ」ではなく「ヤクシュ」、しかも「スダ」ではなくて「ズダ」でした。
「ズダ」は長野県では喘息の方言。
「ヤクシュ」は薬。従って「ズダヤクシュ」は咳止薬を意味し、セキ止め薬として採集された。薬草はその地域の人々の日常生活に自然に溶け込む必需品だったそうです。
素人は怖い!!!

そうそう、白い花もありました。
「センブリ」です。昨年立った小道から2m上ではなく、道のほとりで危うく踏みつけてしまうところでした。
白い花 センブリ
今日は寒い朝で深い霧の中でしたが、Aコースの中間のアオハダの林を過ぎた辺りで太陽が出て快晴、真っ青な青空になりました。
遠くの杵原学校から山本地区の運動会の放送が聞こえてきました。
もってこいの運動会日和。森の中もすがすがしい気分です。





2012年9月18日火曜日

ウスタビガの繭

 
 
9月のハナモニ(ハナノキ湿地のモニタリングの愛称)の途中で秋らしいものを見つけましたのでお知らせします。
まず最初は「ウスタビガの繭」。アオハダ林の通路わきに落ちていました。
毎年この頃林内で見かけます。何の気なしに小枝を持ち上げてぶらぶら揺らしてみると自由に繭が揺れました。
通路に落ちていたウスタビガの繭
不思議に思い小枝との接合部分をよく見ると、接着しているのではなく、輪っかになっているではありませんか!!
強風にあっても自由に揺れて小枝が折れなうように工夫しているのでしょうか?


小枝との連結部分

ところでウスタビガ(薄手火蛾、薄足袋蛾)はチョウ目ヤママユガ科に分類されるる蛾の一種で、成虫はこんな大きな蛾になるそうです。




2番目はフモトミズナラ。
急斜面の小道を歩いていると、上から「落石?」かと思ったらフモトミズナラのどんぐりが勢いよく転がって足元に留まりました。拾い上げてよく観ると、まだ半熟生。
しかも殻戸の上の切り口は芯の部分がとがっています。これもチョッキリの仕業でしょうか?
多分卵を産み付けていると思いますが、フモトミズナラの核とはごつごつしているので、よくわかりませんでした。コナラの場合はどんぐりがまだ緑色の時にチョッキリの被害にあいますので、卵を産み付けた跡が茶褐色になっているのですぐわかりますが・・
フモトミズナラ 殻戸

3番目はコースに入る前に見つけた「秋」・・かわいいエノコロの仲間。
これは「アキノエノコログサ」
稲穂と同じ時期に同じように首を垂れるていました。


アキノエノコログサ
すぐ隣に「キンエノコロ」
名前の通り金色に輝き、穂はピーンと立っています。

キンエノコロ
エノコログサの仲間には上記のほかに
エノコログサ、ムラサキエノコログサ、オオエノコログサ、コツブキンエノコロなどがあるそうです。

 

2012年9月11日火曜日

御所車紋を求めて

今回9月7日(金)いつものように購入した南信州新聞を購入したところ2ページにわたり今宮八幡宮秋季祭典の詳細がのっていました。
平成24年9月8,9日(第2土日曜日)は神社のお祭りとしては伊那谷最大の花火祭り
「飯田市今宮郊戸八幡宮秋季祭典奉納煙火」が開催されるとのこと。

しかも丸山町2丁目の神輿の写真は
『御所車』7本骨源氏車でした。

南信州九面に掲載されていた写真
7本骨の謂れは*尹良(ゆきよし)親王*が伊那谷の合戦に出陣する知久氏に対して、この車紋の幟旗を持たせたとの言伝えがあるそうです。

その神輿が見たくて、午後四時から今宮神社へ出かけました。
神社の鳥居にすぐ前に今宮四丁目の神輿発見!
しかしそれは七本骨ではなく、普通の源氏車八本骨でした。


今宮四丁目みこし
そこで各町の神輿が集結今宮球場(花火大会の会場)へ向かったところ、入場制限の係員の方。

その人の法被を見ると
「陰陽の七本骨御所車」
この紋について謂れをお聞きしましたが、全くご存じありませんでした。
残念!・・どうも町によって神輿の紋が異なっているようです。
その方の所属町名をお聞きするのを忘れました。

法被の紋「陰陽の御所車」
まだ神輿の出陣には早いので、球場から1キロメートルほど坂道を下った道路際にに今宮二丁目の行燈を発見。
これも陰陽の御所車・・しかし先の法被とちょっと違う!
表裏逆に印刷しているようです。

新聞に載っていた「七本骨御所車」を求めて出かけましたが、残念ながら時間も早かったせいもあり出会う事が出来ませんでした。
この祭りではすべての蝶の神輿の紋が「七本骨御所車」と思い込んでいましたが、あまり気にせず各自自由に改変しているようでした。
何人かにお聞きしましたがほとんどの方は全く気にもしていない感じ。
祭りを楽しめばいいのだ。聞く人を間違えたようです。

追記
①最初に今宮神社の社紋が御所車ではないかと思い、禰宜さんにお聞きしたところ、社紋は「五三の桐」で「御所車とは全く無関係」との事でした。

②尹良親王について
尹良親王は後醍醐天皇(第九六代)の第五皇子宗良親王の皇子として伝えられている。
。『浪合記』・『信濃宮伝』によれば、尹良親王は吉野から各地転戦、応永三一年(1424年)三河、伊那谷で戦い、最後に賊に襲われて信州大河原で御生害された。御墓は旧浪合村(現在は阿智村)にある。

2012年8月28日火曜日

小春ちゃんとそば打ち

パパの1週間遅れの盆休みで千葉から小春ちゃんが来ました。
名古屋水族館、昼食バイキング等で行楽一段落したので、
いつものように一緒にそば打ちをしました。
小学校1年になりましたので、以前より手捌きがよくなりました。
ほっぺにはシールを貼っています
(そば粉ではありません)
 
こうやって打粉を落とすんだよ!
 
やったー!
 



2012年8月27日月曜日

ガマの穂

9月のハナモニは7人参加。
そのうち1名は神奈川県から特別参加のササの研究者。
今までは単に「ネザサ」と記録していましたが、
ササの先生に見て頂いたところ「肩毛が稈に平行、粗渋でない」
初めて聞く言葉でめんくっらてしまいました。

Bコースにでると休耕田に生えたガマを発見!
瞬間「因幡の白ウサギ」を思い出しました。
そこでウサギはガマのどこで直ったのか、何が効いたのか?
会員のOさんに持ち帰って顕微鏡写真も撮ってもらいました。
ガマの穂を折ったところです


断面顕微鏡写真

毛綿の顕微鏡写真 小さな種があります


 ワニに赤裸にされた兎が臥せっているところに八十神(大国主の兄弟)が通りかかり、『傷を治したければ海水を浴びて高い山の上で風に当たって寝ていろ』と嘘を教え
 ます。
 そのとおりにしたところ海水が乾くにつれて身の皮が風に吹き裂かれました。

 そのあとに通りかかった大穴牟遲神(オオナムヂ、大国主命)が傷み苦しんでいる兎を見つけ、事情を聞き、次のように教えました。
 『河口に行って真水で体を洗い、そこに生えているガマの花粉(蒲黄)を取ってその上で寝ると良い』と。
 その通りにした兎は元の体になったと言う話です。
ところで日本書紀に書かれている赤裸にされた因幡の白ウサギはガマのどの部分を使って直したのだろうか?
原文では、「蒲黄」となっています。漢方では「ガマの花粉」を蒲黄(ほおう・ほこう)とよび、止血剤、増血剤、鎮痛剤、消化剤、利尿剤として用いられ、また、切り傷や軽いやけどには患部に直接塗布するとも言われます

しかし唱歌では蒲の穂綿となって
 いずれにしても「大黒さま」の作詞者が「蒲黄」を「蒲の穂綿」に置き換えたため、「蒲の穂(または、穂綿)が傷を治した」という誤解につながり、自然解説などで、「歌にもあるように蒲の穂が白兎の傷を治した」という解説をし、聞く方も納得してしまうという光景が現出することになってしまいました


唱歌「大黒様」        作詞:石原和三郎
                     作曲:田村虎蔵
 1.大きな袋を肩にかけ 大黒様がきかかると
   ここに因幡の白兎 皮をむかれて赤はだか

 2.大黒様はあわれがり きれいな水に身を洗い
   蒲の穂綿にくるまれと よくよく教えてやりました

 3.大黒様の言うとおり きれいな水に身を洗い
   蒲の穂綿にくるまれば 兎は元の白兎

 4.大黒様はだれだろう 大国主のみこととて
   国をひらきて世の人を たすけなされた神様よ


果実が熟してくると雌しべの子房の下の柄が伸びるので、雌花穂の直径が大きくなり、ついには破裂するようにほつれて、果実が風に乗って飛び散る。これが穂綿である

2012年8月18日土曜日

不明紋・・半分解決?・・キーワードは「三つ」

二年前名古屋市平和公園で巡り合ったしたの家紋(下図)が今回の主役です。
名称がわからずいろいろ手を尽くしましたがいまだに不明のままでした。
ところが「あるきっかけ」で半分解決した気分になって今回取り上げました。

丸を「Yの字」で三つに仕切られ、各々「丁盤?、州浜?」のようなものが一つずつある。
(これは今回も未解決のままでした。ご存知の方は教えてください。)

名古屋 平和公園 塩谷姓


西洋の紋章でも「Yの字」で三つに仕切って、ある紋章があります。
それはスエーデンの植物学者リンネの紋章です。
(正確言うと、「区切り」ではなく、このYの字はオーディナリーズの一つで、楯の上にY字の帯を置いてある。)
西洋紋章は厳格なきまりのもとに、具体的・写実的だと思います。
因みに リンネは18世紀博物学で「三界説」を提唱、楯の赤・緑・黒の3色は鉱物界・植物界・動物界を表し、中央の丸の中は全ての生命の源とみなした「卵」を表しています。
尚上部中央の花は彼が愛した「リンネソウ」です。
リンネの紋章

話が横道にそれましたので元に戻します。
日本の家紋はデフォルメ・抽象化・省略が多くわからないことばかりで苦労しています。

今年6月のブログ「不明紋」に対して「仏立の丸」であるとコメントで御教授頂いた、
京都の家紋研究家であるのMさんのブログを見て
歴史読本に「家紋拾遺譚:難読紋・奇紋」が連載されていることを知りました。
早速図書館へ行き、保管されている2009年10月号から2012年2月号までの39冊を借出しコピー。
家に持ち帰り読んでいたところ、2009年12月号『盛り塩紋の謎』に巡り合いました。
このページを見て頭に衝撃が走りました。
「ガ~~ン」
「盛り塩紋」・・この紋のモチーフが・・・・
『日本家紋総監』にはこの記事のように沖縄の紋章のページにベンツマークの中心に小さい〇のあるものは見たことがありましたが、上下逆で中心に小さい丸のないものはこの記事ではじめて知りました。

以下に2009年12月号『盛り塩紋の謎』の記事に関連して
私にとって興味深かった内容を列記します。

<三つ寄せ盛り塩>
・モチーフを盛り塩と見た点
   残念ながらこの発想は全くありませんでした。
・塩商人 『姓氏家系歴史伝説大事典』によると、「塩谷は塩屋に通じる」とあり、とありやはり先祖は塩商人であったのでしょうか?
・伊勢神宮の食事を司る豊受大神を祀ってある 
 食事の調理に使う塩 お払いをするところで、ここには「三つ石」がおいてある。
 神事では三つ寄せることでお払いの力が出るということを知りました。
<立ち砂紋>
・立ち砂紋・・貴人の車寄せに置き、輿や車の轅(ながえ)軛(くびき)を立ち砂に置く
        メルセデス・ベンツと同様「車」に関係?
        使用家は二階堂氏と六郷氏。
       二階堂氏は「三つ盛り亀甲に花角」の家紋を現在に引き継いでいる。
        「三つ」と「盛り」を大切にしているのではないか?


話が中途ですがひとまずアップして、ご存知の方のお知恵を拝借したいと思います。








2012年8月14日火曜日

箱川早朝散歩

曇り空の朝 デジカメもって南信州の朝を探しに出かけました。


早速マツヨイグサ 濁りのない黄色が素敵です。


見晴らしの良い畑まで行くと、2週間前は元気のよかった大型ひまわりがすっかりこうべを垂れていました。

今年の春分けて頂いたタラノキはすっかり大きくなりました。
来春はもっとたくさんタラの芽を頂けそうです。
Iさん来年もよろしく。








2012年8月1日水曜日

夕顔雑記

久し振りに飯田市鼎(かなえ)のおよりてファームに行ったところ珍しいものを発見!
以前から探し求めていた「夕顔」すなわち「干瓢」があり、早速購入。百五十円でした。
(なぜ探し求めていたかについては後述)
細長く長さ45cm、太さ20cmぐらい。
幼少のころ岡山の故郷で収穫していて、巻き寿司の具材にしていましたが、
それよりずっと細長いものでした。

早速干瓢つくり

 別荘に帰り早速干瓢つくり最初に輪切りにして

次に包丁で薄く長く(実際はイメージ通りに切れず、太く短く)リンゴの皮をむく要領で
苦労の末御覧のような出来栄えです。

ところで先述の探し求めた「夕顔」
実はこの家紋は、一般的には「二つ蔓源氏柏」

といわれていますが、私の調査結果(過去ブログ)の通り、
実は「柏」ではなく「夕顔」ではないかと考えています。
そこで一度種か苗を入手して花を観察したいとの欲望にかられ、
ネット通販で売り切れの多い中(夕顔の種意外と人気があるのか、それとも種自体が少ないのか)アマゾンでやっと種を購入。
しかしこの種は「干瓢」でなかったので、植えるのを中止。そのままになっていました。

話変わって
「夕顔」から連想されるのはやはり「源氏物語」ではないでしょうか?
源氏物語における夕顔は
光源氏17歳のころ、六条御息所を見舞った際、隣家の塀に咲いている夕顔が目に留まり、随身に折り取らせると、女童が出てきて 夕顔の花を載せて扇を差し出す。
香を薫きしめた白いその扇には

『心あてに それかとぞ見ゆ 白露の 光そへたる 夕がほの花』

の歌が書き付けたあった。

源氏物語色紙絵夕顔

その後 光源氏は夕顔の家に通うようになるが、ある日ある女に呪われて夕顔は息絶えてしまう。
という物語。
夕顔の花は、夜しか咲かない かくも儚い花なのでしょうか?


・・・・・夕顔に関する想像はとめどもなく続きます。

2012年7月29日日曜日

そばサラダ

猛暑のため、昨日打ったそばをサラダ仕立てにしました。
初日は「げそ入り」、 2日目はちょっと豪華に「エビ入り」でした。
夏向きの一品です。
野菜と具材はお好みにアレンジしてください。

げそ入り

エビ入り
「そばサラダ」のレシピ 私の分です。

茹でたそば      2人分(280g茹でる前の重量)
エ  ビ         4 尾
キュウリ千切り    4分の1本
レタス(タンポポの葉)5 枚
トマト スライス    4 枚
そば汁         40 cc
ごま油         30 cc

**************************
そば打ちデーター
そば粉:スーパーあずみの 900
つなぎ:長野県地粉     200
加水              478(43.4%)
室温 37%
風速 2m(推定)
劣悪環境で「風邪ひき」
***************************





2012年7月22日日曜日

7月のハナモニ

7月15日鬱陶しい梅雨の季節となりました。
しかしこの雨のおかげで植物はすくすくたくましく育っています。

カキラン
春花が咲いたから、かわいい実が実っています。
ウリカエデ

手前コバノガマズミ、奥の小さい実はオトコヨウゾメです
トモエソウ:今年は花を見れないうちに実になっていました






2012年6月22日金曜日

ガイドさんに聞いた言葉(四国ツアーで)

5月中旬に四国一週ツアーでガイドさんから聞いた、含蓄のある言葉を集めました。

<丸亀うちわについて>

・伊予竹に 土佐紙貼りて 阿波ぐ(扇ぐ)れば
讃岐団扇で 至極(四国)すずしい

*「丸亀うちわ」は江戸時代1633年(寛永10年)に、金毘羅大権現の別当、
金光院の住職が考案したものと伝わる。
渋うちわに「金」の文字印を入れて、金刀比羅宮参りの土産として全国に広がった。
マダケを素材とした「男竹丸柄」で、柿シブを塗って作り上げた丈夫なものであった。

<香川県に伝わる教え>
・子供叱るなり、来た道じゃ 年寄り叱るなり 行く道じゃ
*昭和の3世代同居、近所付き合いの多かった日本のの風景が目に浮かびました。

<はりまや橋「がっかり名所」に因み>
・糸の縺れとはりまや橋は どこが端(橋)かわからない

江戸時代に、高知の豪商である播磨屋と櫃屋(ひつや)は、本店が堀で隔てられていた。この両者の往来の為に架けられた私設の橋だたそうで、元々大げさなものではなかったんですね。
・・それよりペギー葉山の「南国土佐を後にして」で全国に知られるようになったようです。
*民謡【よさこい節】 の語源
諸説あるが、よさこい=夜に来い=今夜いらっしゃい
幕末、高知城下に起こった僧純信と鋳掛け屋の娘お馬との恋愛事件からとった歌詞。
*はりまや橋

<空港などの愛称>
一般利用者向けの愛称は多くの場合、知名度向上と利用促進活動などを目的としているようです
駅名
さぬき高松うどん駅 JR四国121系(国鉄最後の戦車)

<空港>
正式名   「愛称」
高知空港 「高知竜馬空港」

徳島空港  「徳島あわおどり空港」
静岡空港  「富士山静岡空港」
米子空港  「鬼太郎空港」
丹波飛行場 「コウノトリ丹波空港」
紋別空港  「オホーツク紋別空港」
釧路空港  「たんちょう釧路空港」
松本空港  「信州まつもと空港」
対馬空港  「対馬やまねこ空港」