十二神将(*1)は日光、月光菩薩と共に薬師如来の守り神といわれておりますが、
2008年8月に山岡荘八著『徳川家康』を読んでから一つ疑問が沸いてきました。
それは『徳川家康』1巻”今生未来”の項において、
臨月を迎えたお大が、侍女の百合に鳳来寺の峰の薬師へ行って
”
寅年の守り神”真達羅(しんだら)大将
を盗んでくるように命令する下りがあります。
そこで、インターネットで検索したところ
”寅年”は迷企羅(めきら)大将
となっていました。
どちらが正しいのだろう?
まさか山岡荘八が間違うわけも無いであろうに?
この疑問がずっと頭の片隅に残っていました。
ところが今年10月に山梨県勝沼市へぶどう狩りに行った際、帰路で勝沼ICの近くの大善寺に立ち寄ったところ、国宝薬師堂に十二神将があり 住職に前述の『徳川家康』の疑問をぶっつけたところ、
住職いわく「
経典により、並び順が逆になります。従って寅年の守り神は変わります」との話でした。
早速自宅に帰って過日調べたインタネットの十二神将の並び順を見直してみると、
逆から見れば確かに”寅年”は後から三番目で真達羅大将となります。
これだと『徳川家康』と合致!
因みにインターネットの記事にはの経典は「薬師瑠璃光如来本願功徳経」となっていました。
しかし『徳川家康』、
鳳来寺の経典は何か不明です。
どなたかご存知の方教えてください。
参考までに
(*1) 十二神将について(
経典は「薬師瑠璃光如来本願功徳経」)
鳳来寺
子年 宮毘羅大将(くびら)・・太刀を持つ・・・・・・・
亥年
丑年 伐折羅大将(ばさら)・・宝剣を持つ・・・・・・
戌年
寅年 迷企羅大将(めきら)・・独鈷を持つ・・・・・
酉年
卯年 底羅大将(あんてら)・・太刀を持つ・・・・・・
申年
辰年 額爾羅大将(あにら)・・矢を持つ・・・・・・・
未年
巳年 珊底羅大将(さんてら)・・法螺貝を持つ・・
午年
午年 因達羅大将(いんだら)・・鉾を持つ・・・・・
巳年
未年 波夷羅大将(はいら)・・弓矢を持つ・・・・・
辰年
申年 摩虎羅大将(まこら)・・斧を持つ・・・・・・・・
卯年
酉年 真達羅大将(しんだら)・・斧を持つ・・・・・・
寅年
戌年 招杜羅大将(しょうとら)・・太刀を持つ・・・・
丑年
亥年 毘羯羅大将(びから)・・・・・・・・・・・・・・・・・
子年