2010年10月9日土曜日

宍戸家の家紋は本当に「六の字」???

今年二月のある日、刈谷市の寺院の墓石家紋収集に夢中になっていたとき、
あるお寺で 次の様な家紋に出会いました。

刈谷市のあるお寺の宍戸家家紋
 当時 ほとんど家紋の知識がなく、紋の名称が分かりませんでした。
そこで図書館に行き「家紋事典」で、州浜紋らしいと目星を付け、
『日本家紋総監』という、分厚い で再確認。
やっと巡り合えた その名は「花州浜」!!!!
花州浜
 ところがその数日後、刈谷美術館で開催された
「江戸時代の刈谷藩」~維新の真の魁・天誅組~
 で 宍戸弥四郎の紹介を見て再度研究心をくすぐられ、
図書館で『宍戸弥四郎略歴譜』を見ていたところ
 以前見た「花州浜の紋」ところがその説明を見ると次のような説明
その説明は
清和源氏 六孫王 経基の末孫であるから「六」の字をもって定紋とする。
と書いてあるではありませんか!
その次に清和天皇からの系譜が書かれていました。

清和天皇ー貞純親王ー経基(六孫王)ー満仲ー・・・・・・・・・・・・

宍戸弥四郎は経基(六孫王)から数えて実に36代目!!
本当に36代も間違えずに辿れるものかな??
と思いつつ、気を取り戻して「六の字」か「花州浜」か 調査することにしました。

まずは姓名から『日本姓氏大辞典(解説編)』、『新苗字事典』共に丹羽基二著では
宍戸氏 常盤国茨城郡宍戸庄発祥の族、八田氏族。
安芸、長門、備中、播磨、美作等の族はその支流。
家紋は「宍戸州浜」
と書かれています。
 「宍戸州浜」 という紋名もあるんだ!

宍戸氏の家紋を史料に基ずいて検証してみました。

中世 『太平記』 州浜紋 史料への初出 「三つ州浜」

    『羽継原合戦記』 小田氏の紋は「足長州浜」
               小田氏は宇都宮氏から分かれた一族で
                    源頼朝に仕えた八田知家を祖とする。

戦国 『関東幕注文』 小田中務小輔「すわま」
          一族の宍戸中務大輔等も「すはま」
      ◆小田氏の場合州浜紋の由来を、源氏の先祖 六孫王経基王の「六」の字を
        紋章化したものと家系伝承に言う。
        これは清和源氏説を粉飾するためのものでわないか?

       ・おそらく初めは宗家の宇都宮氏と同じく「巴紋」であり
        やがて宗家と区別するため巴を州浜に変えたのでは?
       ・因みに 州浜は「巴崩し」ともいわれる。
            丸みを帯びた意匠、使用家の分布が巴紋の分布と重なっている


室町 『見聞諸家紋』 州浜紋の使用家が多く収録されている。
          末町、寺町、茨木、吉田、伊庭、宍戸氏

      小田氏・・小田又次郎知憲 「亀甲に酢漿草と二月文字」
      宍戸氏・・安芸国高田郡住(安芸宍戸氏)「花州浜」
          普通の州浜に比べて意匠が凝っている
より六孫王の六の字を意識したものか?

以上の調査結果より、次のように結論づける。

 宍戸氏の家紋は、もとは普通の「州浜」であったが
           戦国時代以降清和源氏を意識するあまり
           「花州浜」「六の字」
           と意匠・名称が意識的に変更されていった。
尚 各史料の内容を精査しているわけではありませんので、間違いがあるかもしれません。
もしお気づきの点がありましたらコメントください。 

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