2014年10月30日木曜日

地名の謂れ 愛知県東海市

過日 知人に教えて頂いた土地の住宅地図を眺めていたところ、気になる地名が一杯!

早速 図書館へ行って、その土地の旧町名の町誌『横須賀町誌』を調べ、抜粋しました。
世の中には知らないことが、いっぱいあるものだ。

<気になった地名>
「八王子」、「東海市養父」、「正神」、「横枕」、「城の内」、「一の割」、「蜘田」などについて以下に転記しました。

「八王子」
:昔八王子権現をこの土地に勧請、社寺を建立したものでこの名が起きたと思う。
 古書に「八王子」とは、素戔嗚尊の5男3女を合せ祀る神の称で、
 東京都の八王子も天正(織田・豊臣の時代)のころ、由井済三(氏照)なる人、
 ここに城郭を移し、八王子権現を鎮守とし、ついに地名になった。

「東海市養父」
:知多半島基部、伊勢湾に面する海岸平地に位置する。
 地名の由来は、「地名考」には「往昔薬王山法海寺の外郊に本付けて養父というべし。
 支村荒井は新居の義なり。」とある。
 古くは「藪」と書いたが、明治15年の知多郡長坂重孝による「分村許可証」に、
 藪の字が養父と朱記で訂正されており、以後養父と書かれるようになった。(横須賀町史)

「正神」
:実は、正式には「正榊」で、どうも住宅地図の印刷間違いだと思います。
養父新田内の地名。養父新田は旧幕府時代大高町の山口源兵衛が所有していた     が、明治元年に藪村の森彦治が買い、明治4年に又々横須賀の野畑〇〇の手に移った。
最終的に亀崎村の榊原義正に売却した。この時土地丈量があり、自分の名をつけた。

「横枕」
:柳田國男は「横枕は成功開墾の地割をするにあたり、地形の都合上幹線に平行に割る事が出来ぬ分、即ち大部分の田地の上端に、横に長い形の出来たものをいう。
田畑の大部分は山や林の影を考えて大体どの田にも、日受けの良いように縄を引くから、
横枕は多くは日射の十分でない、若干不利益な地面に相違ない。
それで特にこの地名が出来たのであろう」と書いている。

「城の内」
:大字養父の中心地で北城郭のあったところ

「一の割」~「四の割」
:地租改正の際、大字横須賀を四等分して名付けた。
最も安易な味気ない地名。

「蜘田」
:大宝の制、諸国から毎年中央政府に出す大径帳。
公文給、公文田、蜘田





2014年1月7日火曜日

瓶子紋

「瓶子紋」と使用家(苗字)の関係調査

調査文献
A:『日本家紋総監』千鹿野茂編
B:『苗字から引く家紋の事典』高澤等著
C:『都道府県別姓氏家紋大事典』
D:『難読稀姓事典』高橋幸男編

<はじめに>
家紋仲間で「瓶子紋」の情報交換していたところ、使用家に地域差がありそうなので、上記文献で調査した。

1、まずA(『日本家紋総監』)の瓶子紋記載数。(ただし陶、徳利は除く)
  家紋の種類は65件あり、述べ使用家数は74家あった。

2、苗字別(一部Gグループ)に多いものを列挙すると下記の通りであった。
  ①宇佐美:単独で6件
  ②二瓶、三瓶、仁平G:総数11件、平均3.7件
  ③富永:4件
  ④鈴木:4件
  ⑤川越・大越G:総数6件、平均3件
  ⑥宮の字G(宮永、宮守、宮島、大宮):総数8件、平均2件
     ⑦広瀬3件、
  ⑧大岩2件
  1件は以下の通り
     金沢、広居、中村、小野、三輪、饗部、関、安食、塙、頼、梅野、平野、長野、
     津留崎、緑川、行元、下沢、秩父、土橋、飯田、塩田、箱田、宇井、新、
       照井、仁木、三上、平野、境野、三浦



  
   
 
3、私の調査では(東海地方が中心)宇佐美姓、酒向姓が大半を占めていたが、
   Aには酒向・酒匂姓とも記載なしであった。

4、そこで、Bで酒向・酒匂を調べたが、記載なし。
     Dで読みを調べる。
     酒向(さかわ、さこう)
     酒匂(さかえ、さかむき、さかわ、さこう)

     
5、上記”読み”について、Cを調べたが,瓶子紋の使用例はなかった。
      酒匂(さこう)だけ2件で、酒向はなし。
      東京都 「三つ藤」藤原氏族
      鹿児島県「丸に蔦」桓平梶原氏族

<以上より>
    ①文献に頼るだけでなく、家紋仲間で調査結果を情報交換して集約する以外に方法はないとの結論に達した。
    ②各文献は独自の調査範囲・編集方針があると思われるので、当方の希望通りの記載内容を希望するのは所詮無理な要求である。