2013年8月14日水曜日

阿島知久氏の史跡を訪ねて

先回(6月30日) 
知久氏が尹良親王から下賜されたといわれる「7本骨御所車」の指物旗を見るため、喬木村歴史民俗博物館へ行きました。

その後、知久氏の廟所にお参りするため、菩提寺である渕静寺に行き住職にお尋ねしたところ、「ここは菩提寺で知久家歴代の位牌などであるけれど、お墓は別のお寺(安養寺)です。」

この日は時間がなく帰路に就く。

今回(8月12日)は知久氏の廟所目指してまっしぐら・・・
ところが道を間違え、道路際の墓地でお盆前のお墓掃除をされている方に道を聞く。
ふとお墓を見ると「鞍馬家」家紋は「毘沙門亀甲」。


道路工事中で車がやっと通れる道を進むと、突き当りが安養寺の駐車場でした。
その正面に毘沙門堂。
賽銭箱の正面には「毘沙門亀甲紋」。



お堂に拝礼していると、小学低学年の女の子が近づいてきて、
「何してるの」、龍の彫刻を見ていると「龍は本当にいるの?」、
隣の祠に注連縄が飾ってあったので「ここから内は神様がいるんだよ」と言うと、
「ホント!じゃー猫じゃらしで確かめてみる」・・・こんな会話をしばらく楽しんだ。
その女の子は「お父さんにお墓の掃除をさせているの。」との事。

女の子と別れてお寺を見回すと、室町時代のものと言われる梵鐘、その両側に杉と銀杏の大木。
山門を見てびっくり! 山号は『鞍馬山』。・・先ほど道を聞いた方と同じ!

もう一度引き返して、毘沙門堂の前を通り過ぎ、目的の知久氏廟所へ。



急な石段を数十メートル登る。道の両脇には家臣のものと思われる墓が並んでいました。

最上段の左右が、歴代知久氏と親族の墓が立ち並んでいました。




都との婚姻関係があったのだろうか、屋根付菊の紋の墓石も何基かあり、

在りし日の知久氏の繁栄を偲ぶ事が出来ました。



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