2015年3月7日土曜日

刈谷市 史跡めぐり 野田コース

本日3月7日 史跡めぐり「野田コース」に参加しました。
刈谷市教育委員会企画、ボランティアガイドの案内で実施。
所用時間:約3時間、距離:約3.5キロ 説明ポイント15か所でした。

集合場所は八枚公園、駐車場は隣の津田工業の駐車場。
公園で受付、私は第二組17名、ガイド4名 で出発。

①宮城道雄供養塔

  なぜここに「春の海」を作曲した箏曲家宮城道雄の供養塔があるんだろう?

  箏曲家として有名な宮城道雄は関西での演奏旅行の爲、夜行列車「銀河」に乗ってたところ、 昭和31年6月、この付近で列車から転落して死亡。
刈谷市、宮城海、日本盲人会の3者によって転落現場近くに建てられたそうです。

③佐次兵衛井戸
弘法大師が通りかかり、水に困っていた農民のために、杖でつつくと「玉のような水」が湧き出たそうです。




④福島領の碑、重原陣屋跡


財政難の刈谷藩で不祥事(寛政の一揆)がおこり、一方、福島藩も赤字ながら大阪城警備のため50名もの藩士を出しでいたが困窮を極め幕府に村替え願いを出していた。
そこで幕府は、刈谷藩と福島藩の村替えの処分を下した。
これにより、2万3千石の刈谷藩は1万石となり、福島領に1万3千石の飛び地。
同じ1万3千石でも福島は石高は悪く、刈谷藩の財政はさらに厳しくなっていった。

⑥浄福寺

このお寺には福島藩士の墓が8基あった。

また、近くに住む野村伴右衛門と言う商人は福島領に建てる重原陣屋の土地の提供と
このお寺建立の資金を出した。
右の写真は、改修時に降ろしたお寺の鬼瓦で、野村伴右衛門の家紋である「笹竜胆」の紋が彫られていた。

⑩中条遺跡
最初 中条貝塚と呼ばれていたが、発掘が進むにつれて
縄文土器、瓦、勾玉、景徳鎮等がでてきた。また大きな遺構も発掘され、縄文時代から鎌倉時代までこの地域の中核都市であったとすいそくされるようになった。

⑫伊勢倉組の常夜灯
このように呼ばれているが、伊勢倉と言う地名が書かれた文献は残っていないそうです。
しかし「伊勢倉」の地名は東海各地にあるそうで、伊勢神宮に奉納するお米を蓄える倉であって
この地からすぐそばの川から船に積み伊勢神宮まで運ばれたであろうという事は十分想像できる。

この後
⑬慕井戸

⑭重原八幡社



定刻に解散場所に到着し、ガイド班長さんのあいさつで解散となった。

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