2010年9月16日木曜日

歴史の中の桔梗紋

今日は「秋の七草」の1つである桔梗について
歴史と家紋の観点で深く考察していきたいと思います。

万葉歌人山上憶良の歌

「萩が花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花
また藤袴 朝顔の花」

 この朝顔が現在の桔梗です。

古名:オカトトキと言い、岡に咲く神草トトキの意
トトキの咲く所=土岐

別名:阿利乃火布岐(蟻の火吹き)があり、青紫の花に含まれているアントシアニンという色素は酸性になると赤に変色するそうです。

昔の人は経験で変色することを知り、
蟻がキキョウの花をかくような空想をしたのでしょうか?


家紋との関連
 ・戦国武士が先陣でキキョウの花を鎧にさし、

       敵を大いに打ち破った戦勝敵意味がある

  ・ 「更に吉」で縁起がよい

以上の理由で広く家紋に使われたようです。

家紋で辿る歴史散歩

     本能寺の変(1582年)

明智光秀の水色土岐桔梗紋は有名です。

特に本能寺の変で森蘭丸が信長に言ったセリフ

「謀反でございます!水色地に桔梗!惟任日向守光秀殿です」

     日光東照宮の鐘楼と陽明門の随身像の
     桔  梗  紋  の  謎  ?  ?(1637年)  

東照宮には「三つ葉葵」のほかに無数の桔梗紋が隠されています。
桔梗紋がなぜ東照宮にあるのか?
甚だ疑問ですが、次の二説があります。



太田桔梗
 




まず一つ目は豊臣家滅亡に執念を燃やして南海坊天海
となった明智光秀のものではないかという説


二つ目は徳川家康の江戸入府以前の初期江戸城を
築城した太田道灌の桔梗紋ではないかという説

この説は日光東照宮は江戸を風水で守るために
築かれたといわれているので、
江戸城の創始者である太田道灌に江戸を守護させる
というのは説得力がありそうです。

しかし
太田桔梗は花びらが如何にも細すぎて違和感がある。
                     

南海坊天海
 やはり日光東照宮の立役者 南海坊天海の家紋のほうが

鐘楼と随身像の紋に似ており、納得できる。


しかも天海の出自を調べてみると

天海の父は舟木景光といい

清和源氏頼光流土岐氏の庶流で光秀と同じであり、最も妥当と思われる。


 江戸城に残る「桔梗」の名
 昨年東京ではとバス観光の際、皇居で園内の案内図を入手し、
本箱に仕舞い込んでいました。
先日たまたまその案内図を開いて見て、
大手門、桜田門というのはよく聞いていましたが
「桔梗門」と言う名前は初めて知り気になりました。

そこでその由来を調べてみると

最初に江戸城を築いた太田道灌の時代に、この近くに泊舟亭があったと伝えられ、

道灌の家紋の桔梗紋からつけられたそうです。

現在でも門の鬼瓦には桔梗紋が刻まれているそうですが、残念ながら私は確認していませ
ん。
どなたか見る機会がありましたら写真でも送っていただけるとうれしいです。


一風変った桔梗紋


植村桔梗


桔梗紋の中には桔梗には見えない

独特な意匠の紋があります。
「植村桔梗」といい
徳川に仕えた植村氏の家紋で
土岐の一族を称し桔梗紋を
用いたそうです。
初めこの紋を検索するのに苦労しましたが意外と身近なところにありました。


それは刈谷旧市内の松秀寺の境内にある上村家の墓碑。
一度家の方に由来をお聞きしたいものです。






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