2011年12月21日水曜日

後醍醐天皇の「後」

以前 後醍醐天皇の第4皇子「宗良親王」について、下条村の郷土史研究家の方から話を聞き、
また史学会に同行させていただき、宗良親王の縁の地に訪れたりしたことがありました。
その関係で後醍醐天皇には興味を持っていましたが、最近になって少し疑問を感じるようになったことが発生しました。
それは、後醍醐天皇と醍醐天皇はどんな関係があるのか?という疑問です。

一般的に歴代の天皇の名前は「後」がつくのは先の天皇の皇子の場合に付けると思っていました。ところが 醍醐天皇は60代で西暦900年頃の即位、それに対して後醍醐天皇は96代で西暦1300年頃の即位。実に400年も隔たりがあり、親子関係のはずがありません。
早速ネットで調べてみました。
すると 後醍醐天皇は、醍醐天皇を尊敬しており、醍醐天皇のような政治がしたいと思っていたみたいです。
すなわち「延喜の治」と称され天皇親政の治世を理想としていたということ。

天皇の諡号(いごう)や追号は、通常死後におくられるものだそうですが、
醍醐天皇にあやかって、生前自ら 後醍醐の号を定めていたということがわかりました。
これを「遣諡(いい)」というそうです。
このような例は 72代白河天皇以降(院政)しばしば見られる。父子の関係ではない。
・72代白河ー77代後白河
・73代堀川ー86代後堀川
・74代鳥羽ー82代後鳥羽
・78代二条ー94代後二条
・90代亀山ー99代後亀山

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