2012年4月16日月曜日

≪実録≫墓石家紋 第2弾 不明紋・珍しい家紋

≪実録≫全国墓石家紋めぐり
大変遅くなりましたが4月17日紋ちゃんの助言を参考に名称を追記しました。(2012.05.14)
平成21年末から 自分の足で歩いて収録した墓石の家紋だけを使って、『自分辞典』を作るという趣旨で開始以来、丁度3年目を迎えます。
当初は在住の刈谷市だけの寺院・墓地の家紋を集めるつもりでしたが、欲が出て全国展開することとなってしまいました。
当面1000種類の収集を目標として頑張っていましたが、このたび(4月15日現在)1103種となりました。
先日、豊田市の古瀬間墓園で、珍しい家紋・名称の分らないものが多くありました。

もしご存じならお知恵を拝借したいと考えています。

まず最初①は 伊地知姓ですが名称がわかりません
:この姓は、姓氏家系歴史事典によると、「越前島津家臣」で、
家紋としては、「組井桁」、「繋ぎ変わり十の字」など
・・・十の字を絡ませたように見えないこともないのですが・・・

華鬘結び

②は一見「三つ巴」かと思いましたが、実は丁子紋。
「三つ丁子巴」でした。山本姓でした。


三つ丁子巴
③これは初めてお目にかかりましたが、「丸に花筏」だと思います。
今も時期、桜吹雪のなか、筏に乗って川下りは実に風流です。
橋本姓でした。
丸に花筏
④外周は「雪輪」ですが、雪輪の中が分りません。
昔見たことがあるようですが思い出せません。
鹿敷姓です。


雪輪に六つ若松

以下⑤中山姓、⑥襄姓は全く見当がつきません。どなたか教えてください。


丸に三枚笹

桔梗飛び蝶

2012年4月5日木曜日

キスミレを見た!

3月29日 自然を楽しむ仲間15人と春の湖西連峰を歩きました。
10時豊橋駅に集合、バスで30分「葦毛湿原」に到着。
温暖な春の陽気で、そよ風が気持ちいい!
ヤマウグイスカグラ・ショウジョウバカマ・ハルリンドウに出会う。
ヤマウグイスカグラ・・上品に咲いていました

ハルリンドウ・・木道から手を伸ばしてブラインド撮影

葦毛湿原を通り過ぎ、尾根伝いにアップダウンを繰り返しながら、TV塔分岐点
カタクリ自生地で昼食の後、
キスミレ(絶滅危惧Ⅱ類)自生地へ。
キスミレは日本では阿蘇山、静岡県富士宮市の朝霧高原)ほか数か所しかないそうです。
初めて見るキスミレの可憐さに感動しました。
ちょっと失礼して、花弁の裏を覗かせていただきましたが、
距がほとんど見当たらないのに驚きました。
待望のキスミレとの出会い

カタクリ
東山(松明峠)から東に浜名湖、南に太平洋、西に豊橋駅を見下ろす。

二川駅に着いた頃には喉もカラカラ

豊橋駅で反省会
店も一番すいている時間帯で、店も大サービス
1時間半で喉も潤い反省会終了し、解散

2012年3月27日火曜日

春の準備

3月24日は耕運機マメトラを持ち出して畑を耕しました。
このマメトラは6年前この地を開墾して赤そばを栽培するために購入した耕運機です。


耕運機は一年間使ってなかったのでエンジンをかけるのに苦労しました。

1時間かけて夕方までかかって畑を耕しました。
2週間前、近くの道路脇から持ち帰った枯葉を山にしていたので、土の中へ耕しこむのに苦労しました。
そのあと、苦土石灰をまく予定でしたが、冷たい北風が強くなったので翌日回し、薪ストーブで体を温め、晩酌で内臓も温めました。

ところが翌25日朝、起きてみると、外は真っ白に積雪。
当日はネバーランドでそば打ち愛好会の総会のためそのままにして根羽村へ出発。
根羽村では1日中雪で南国(名古屋、豊田方面)から来る人は、時ならぬ大雪で遅刻する人が数人いました。
早めに切り上げ、飯田箱川に帰ってみると、雪はすっかり止んでいたため、苦土石灰と化学肥料をまき、明日のエンドウ豆の苗をまく準備。


翌26日朝、畑に出ると、霜柱で長靴で踏みしめるとバリバリと音がする。
少し温まるのを待って、もう一度マメトラで
中央道飯田インター傍の「リンゴの里」でえんどう豆(赤花、絹さやの2種類)の苗を各9本買いました。

26日朝は氷点下、ベランダは昨夜の雹がまだ溶けてなく米粒状態
土の表面は霜柱でかちんかちん、長靴で踏みしめるとバリバリ
えんどうの苗に小さい支柱を立てました

夏になったら、たくさんの実りを期待して、水遣りをして支柱を立ててやりました。
これで終了と思っていたら、薪ストーブの灰が残っていたので苗の間に撒いておきました。


2012年3月13日火曜日

雪景色

2週間ぶりに飯田の別荘へ行きました。
当日は一日中雨のため、早めに就寝して,
翌朝早起きしみると窓の外は一面の銀世界。
真冬の雪はふわふわ舞うように降りてきますが、
今朝の雪は湿っぽいためか、
まっすぐ落ちてきます。

早速カメラと双眼鏡を首にぶら下げ散歩に出かけました。

雨は止んでいましたが、朝日で溶ける雪のシャワー!!
最初の関門は、しとしと降ってくる雪ではなく、ヒノキからドサッと落ちてくる雪でした。

もう少し歩を進めると、柿畑。
2月初めはまだたくさんの柿が残っていましたが、今ではすっかり「へた」だけになっていました。


牛小屋の近くの牧草畑まで来たとき、生理現象をもようしたので、
何十年ぶりに日本地図を書いてみました。
いやに黄色いのが気になりました。


2012年3月6日火曜日

十割そばとわさびとそば湯割

久々に十割そばを打ちました。
と言うよりは・・つなぎの地粉を計量するのが面倒だっただけです。
室温6℃とだんだん暖かくなってきて、指も以前のように冷たさを感じません。

先週末 妻が伊豆旅行に行きわさびを買ってきたのでその「消化作業」の一環で、
昨日は刺身、本日はざるそばと相成りました。

使ったそば粉は倉科製粉の「あずみの」500g。加水は52%。
年末の年越しそば、先月末の友人・知人への宅配では2キロで打っていたので、
玉が小さすぎて妙な感じ。

また寒いときは温かいカケそばでしたが、今回は「伊豆のわさび」を使うためざるそばです。
昨日刺身の際、すりおろしたすぐ食べるより、少し時間を置いた方がピリ辛でしたので、
そばを茹でる前におろしておきました。

いよいよ今年初めての「さるそば」
すりおろしたわさびを麺の上に直に降り掛けて汁につけ、ズルズルッといきました。

実にうまい!

 もっちり感!

やはり「ざる」が一番!
1杯目 左:わさび、中:、天ぷら、汁 右:そば
2杯目 そばの上にわさびを乗っけて食べました
薄っすらと緑色が見えるでしょうか?
これがよく効くんです
ざるそばを食べた後、
蕎麦湯に焼酎を入れて、「そば割り」を二杯飲みました。
今日はそば焼酎を用意していなかったので、泡盛「古酒 久米仙」
これもまたそば焼酎に劣らず美味い!!
至福の夕食でした。


2012年3月1日木曜日

菊芋の手前味噌漬け

以前(2011年3月7日)のブログで「手前味噌の作り方」を載せましたが、
その味噌が昨年末に出来上がり、年末から我が家で味噌汁に使い始めました。
ところが一昨年の味噌が大量に残り処分に苦慮していました。
(蛇足ですが、大量に残った原因は柚餅子を作る量が予定より少なかったためです。)

そんな折 ”飯田およりてファーム”へ買い物に行ってところ、菊芋を発見し即2袋を購入。

友人に菊芋ファンがいるので、彼のために菊芋の手前味噌漬けを作ることにしました。
その漬け込み方を紹介します。
味噌さえあれば非常に簡単です。
大小織り交ぜて一袋百円でした
①まず”手前味噌”を敷き、その中に菊芋を埋め込む。

②更に手前味噌を敷き、菊芋を埋め込む

③その上を手前味噌で覆い密封して完成です。
左のツボに一昨年の手前味噌です。
出来上がりです
④これで約一か月で褐色の菊芋が出来上がります。



2012年2月23日木曜日

あの家紋 柏か? 夕顔か?

先投稿で太田姓の家紋について記載しましたが
蔓の内にある葉が何であるか?





気になって仕方ないので下記参考文献のデーターを
いろんな角度から検討することにしました。
柏なのか、夕顔なのか?
参考文献
①『姓氏家系歴史伝説大事典』志村有弘編
②『日本家紋総監』千鹿野茂監修
③『日本紋章学』沼田頼輔著
④『都道府県別姓氏家紋大事典』千鹿野茂著
⑤原色牧野植物図鑑』(牧野富太郎)
⑥『図説草木辞苑』

まず①③から太田姓の出自と「葉と半車」合成紋の関係を要約すると
 
・三河 岡崎の太田氏-ー家紋(夕顔蔓の内に源氏半車)
・藤原氏 秀郷流太田氏ーー家紋(夕顔内源氏車)、(蔓丸内源氏車)
          ・・・・・すべて「夕顔」を採用している
次に②の収録数から
車紋では 全110コの内 半車は8コ更に蔓と葉の合成紋は1コ(1%)のみ
「蔓柏に源氏車」・・・・ここでは柏を採用している
注記には太田氏(三河国より起こる藤原秀郷流)豊橋向山霊園他

柏紋では 全463コ その内で車紋との合成紋は0(ゼロ)
・・・・柏紋と車紋の繋がりは希薄のようだ

夕顔紋では 全15コの内 半車との合成紋は6コ(40%)もあった。
さらに3者(夕顔・蔓・半車)の合成紋は4コと
・・・・非常に関連が大きい

次に④から
愛知県の名字から家紋と出自を抜粋する
名 字    家紋名               出自
太  田   大田桔梗         清源多田氏族
(おおた)  石持地抜き片喰     三河藤秀郷流
左三つ巴         藤秀郷流
夕顔蔓に片輪車    藤秀郷流   
丸に剣片喰       三河藤秀郷流
丸に違い鷹の羽     藤秀郷流、清源族
丸に桔梗        清源 多田氏族
丸に釘貫        清源、頼親流
丸に橘          橘氏族
丸に蔦          清源、新田氏族
・・・・やはり夕顔を採用している

更に前投稿「太田氏の系譜と家紋」で紹介した17コ(具体提示は4コ)の
墓石家紋について⑤と実物を照合・比較
特に葉の特徴から
柏紋では側脈4,5対に対してとカシワは7,8対
夕顔紋では側脈5対に対してユウガオも5対
・・・・・・・近似性から夕顔に軍配(実物に忠実な家紋の場合)

尚 ⑥において
かしは(柏)::::出典:日本書記・万葉集の記載が多く、食器の代わり、神事の道具としての使用

ゆふがほ(夕顔)::出典:源氏物語(夕顔、末摘花、玉蔓)に記載、
*家紋:夕顔花、蔓夕顔、夕顔葉源氏車、破車夕顔 など
源氏車・夕顔の関係が非常に強い

更に加えるに、半車の名称について、上記*のことを考慮して
①の解説では「片輪紋」の発音を嫌って「波切紋」となっているが、
「半源氏車」としたい

以上 私が信頼している以上の6文献の解析・考察結果より、


下記家紋の正式名称(個人的)を
抱き蔓内に抱き夕顔葉と半源氏車」

又この家紋に限って名前を付ければ、明らかに蔓から葉が出ているため
「抱き葉付き蔓夕顔に源氏半車」

というのはどうでしょうか?
たいぶ長たらしくてすみません・・





太田氏の系譜と家紋

最近安城市内のある墓地で驚きの光景を見ました。
総数70基の小さい墓地でしたが、その約半数が太田姓で、
全て「蔓源氏柏」・・この名称については詳細を後述します。
しかも本家・分家の関係であろうか?
蔓の太さと形状・葉の形状・半車の形状が少しずつ異なっていました。
ざっと14種類くらいありました。
そのうち数例を挙げると
太い蔓、大きい葉、正半円の半車

細い蔓、蔓から出た葉、桁太長

細い蔓で先端が鉤状、小さい葉、扁平半車


極太蔓、細長葉、超偏平半車

太田姓の出自と家紋の関係を
『姓氏家系歴史伝説大事典』(志村有弘著)、
『日本紋章学』(沼田頼輔)、『大大名の系譜と家紋』(丹羽基二著)から抜粋・集約すると
太田(大田と併記)姓は地名から発祥。各地に地名があり諸流があり、多岐にわたっている。
・清和源氏ー新田氏の傍系里見氏系ーー家紋(丸に蔦)
・清和源氏ー義光の後裔佐竹氏系ーー
・清和源氏ー頼光流 土岐発祥で丹波国桑田郡太田に移住ーー家紋(細桔梗)
太田道灌もこの流れ
三河国 出自多様:岡崎市にはこの性が多い
-ー家紋(夕顔蔓の内に源氏半車)
(番鴛鴦)、(蔓の内に半車)
・藤原氏 秀郷流太田氏      ーー家紋(夕顔内源氏車)、(蔓丸内源氏車)
・      足利市の系統      --家紋(井桁の内打違え鷹の羽)、(丸に桔梗)

やはり安城も岡崎に近いので太田姓が多く、
家紋も(蔓源氏柏)が多いのは頷けます!





2012年2月13日月曜日

三河一向一揆 本證寺

2月11日午後2時から歴博講座「藤井松平氏の出羽上山藩主時代」があるので、
事前調査のため午前十時に自宅出発。
知立バイパスで藤井インターを降りるとすぐ本證寺に到着。
車は近くのお店の駐車場をお借りしました。

山門
山門前に立ち周囲を見渡してビックリ!
周囲の内堀、東の角に櫓、境内西側には鐘楼とまさしく城郭のような構え!

手前が内堀、右側が櫓、左が山門


本殿も威圧感がありました。
広い境内で、写真には写っていませんが右に前述の櫓、左に鐘楼。

山門から本殿を望む

しばらく境内散策ののち、駐車場のお店に入りみかんを購入。
おかみさんに「立派なお寺ですねー」というと、
「内堀ばかりでなく外堀もあるよ」と教えて頂いたので周囲を歩いてみた。
橋の欄干の右側日陰の境に「そとぼり」の小さな石碑
残念ながら、外堀の名残があるのは10m程度で、すべて造成された口化されていました。
「そとぼり」の石碑もあと何年残るでしょうか?

再度お店によって話したら、「内堀には夏になると蓮の花が咲くから見においで」と教えてもらう。
内堀の方はピンクの花、外堀の方は白い花が咲くそうです。

午後の安城歴史博物館での講座「藤井松平氏の出羽上山藩主時代」で
 家康が頭を痛めた一向一揆は*三河三ヶ寺の一つである
この「本證寺」が主導的に一揆をおこしたことを知る。

講座終了後 帰宅して数年前読んだ 山岡荘八「徳川家康」を取り出しページをめくって新たなことを思い出した。
当時 家康は22歳で、岡崎城主として勢力拡大しつつあった。
永禄6年(1563)家康の兵糧米の徴発に端を発して一向一揆が勃発。
配下の家臣が本願寺派門徒であったため、多数の家臣と敵対することになった。
そこへ母であるお大(久松の妻でもあった)から、「もし一揆に加担したものを誅罰したら、事件は収まるが、松平の力は半減、そこが見えない敵の最も望むところ」、「真の御仏のおしえにしたがいなさい」の助言で一揆は好展開した。
ここに家康の精神面の成長を見るとともに、お大の方の影響力を再確認させられました。

 現地を見た上で「徳川家康」を見直してみて数百年前をイメージしています。
*三河三ヶ寺(野本の本證寺、佐崎の上宮寺、針崎の勝鬘寺)


2012年1月20日金曜日

温泉手形 千円で10か所入浴

今南信州ではお得な「温泉手形」が流行っています。

正確には南信州「物見湯産手形」といって 覚・




手形の問合せは 昼神温泉観光局(昼神温泉ガイドセンター内)
電話 0265-43-3001
URL http://www.hirugamionnsen.jp/

温泉のほか食事・買い物といろんな特典があり、非常にお買い得ですが、

何といっても温泉がメイン。温泉2回はいれば元が取れます。

我が家は全員で大いに活用しております。

昨年11月初めに購入し、現在までに7か所入りました。

最初  2011.11.4 おきよめの湯 天竜村 谷底川沿いで紅葉を見ながら露天風呂!

2回目 2011.12.22 グランドホテル天心 昼神温泉 9階の大浴場 眺め最高!

3回目 2012.01.03 ゆったりーな 昼神温泉 村営の庶民的な温泉

4回目 2012.01.04 鶴巻荘 昼神温泉 驚きの畳敷き温泉!


5回目 2012.01.05 ひまわりの湯 平谷温泉 氷点下4度の露天風呂。ひまわりイルミネーション
雪の残った屋外にひまわりの花が咲いていました
子供が寒さを忘れて喜びました

 6回目 2012.01.06 満願成就の湯 伊那谷道中 洞窟風呂あり

7回目 2012.01.07 野熊の庄 月川 園原の里 近くにヘブンス園原スキー場 5月は花桃祭り

2012年1月13日金曜日

家紋集めでお寺参り

正月2日に恒例の同期生新年会のため浜松へ行きました。
折角の機会を有効に使うため、お寺巡りをして久々に墓石家紋の調査に行くことにしました。
朝から電車に乗り、バスの中で昼食の強行軍でした。

まず舘山寺、バス上から見ると遊園地パルパルが見えます、浜名湖は強風のため荒れて白波が立っていました。

舘山寺温泉バス停を降りて舘山寺へ向かう途中、
ホテル九重。
家紋は「丸に九重捻り梅」・・・なるほど、なるほど梅の花弁が八重ではなく九重になっています。
でも下部の円が途切れて茎がはみ出しているのが気になります。

舘山寺
810年に空海(弘法大師)によって創建されたと伝えられる古刹で。のちに曹洞宗に改宗し、秋葉山秋葉寺の末寺。
寺紋は「棕櫚」でした。


舘山寺からの帰りは浜松駅行きバスで、浜松北高でおり、徒歩で北上、静岡大学工学部正門を右折して東進し、中沢霊園にたどり着く。
下のような看板がありました。大きく3区画に分かれている。

時宗の教興寺、

曹洞宗の大林寺
外観は非常に大きな敷地、期待して標識を左折して坂道を上ったが、
立ち入り禁止になっていましたので中には入れませんでした。


本日現在で、訪れた県は7県、
市町村は26個所、
寺院等の施設は66施設、
家紋数754種となりました。 ・・・不明紋が分ればもう少し増えます。

2011年12月30日金曜日

後醍醐天皇の「後」 その2

先日 このブログで 天皇の諡号(しごう) 特に「後」のつく天皇の名前について書きました。
しかし 何か書き足りないところがあるような、間違っていたところがあるような、常に気になっていました。そんな折、ふと本棚を覗いていたら『歴史読本』特集天皇家125代 皇位継承の真相 を発見。
その中に 天皇の名前はどのように決まるのか? の記事があり、その内容を箇条書きに列記します。
1、天皇は、諱(実名)と諡号(贈り名)をもつ。
例えば桓武天皇の桓武はその徳を称えて死後におくられる諡号、本名(諱)は山部(やまべ)。

2、諱は「仁」がつくことが多い。
明治天皇は睦仁(むつひと)、大正天皇は嘉仁(よしひと)、昭和天皇は裕仁(ひろひと)。
皆 仁 がつく。これは近代に入って皇子名に「仁」を用いることを定めた法律に従っている。

3、諡号は原則として、天皇の崩御後に贈られるが、これは生前の御座所をつける慣例があり、平安初期に法令化されている。

4、諡号に「後」を冠する方は26名いる。
父子関係や御座所が同じ場合に「後」をつけた。
ところが 深草天皇はいないのに後深草天皇はいる。
これは仁明天皇が深草を異名としたことによる。
同様な例は 後小松、後水尾など数例ある。

参考までに 後醍醐天皇は醍醐天皇の治世を思慕するあまり、生前に自ら諡号をつけた珍しい天皇です。

2011年12月29日木曜日

石田梅岩ー二宮尊徳ー万象具徳

先日 喫茶店でコーヒーを飲みながら週刊誌を見ていたところ、消費税に携わった首相2名の記事が紹介されていました。消費税法案を成立させた「竹下登」、現在消費税増税にまい進している「野田佳彦」両首相。

両者の所信表明で奇しくも江戸時代の学者の言葉を引用していました。
竹下首相は心学の開祖:石田梅岩の
「若し聞く人なくば、たとひ辻立ちして成とも、吾が志を述べん」
(資料により表現が異なりますが、週刊誌に載っていた分を引用しました)。

一方 野田首相は儒教学者:
佐藤一斎「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを粛む」。
私は特に石田梅岩は数年前に堺屋太一著『日本を創った12人』で初めて知った人物でした。
もう一度その本を読んでみようと思い本箱を探しましたが、見つからなかったのでネット検索することに。
ところがそこで意外なことを知りました。
実は石田梅岩の思想に二宮尊徳が影響を受け、その尊徳の考え方を、報徳博物館の佐々井典比古理事長は次のような詩で記されています。

「万象具徳」 二宮尊徳先生の教え

どんなものにも よさがある
どんなひとにも よさがある
よさがそれぞれ みなちがう
よさがいっぱい かくれてる
どこかとりえが あるものだ
もののとりえを ひきだそう
ひとのとりえを そだてよう
じぶんのとりえを ささげよう
とりえとりえが むすばれて
このよは たのしい ふえせかい

一円融合会理事長 佐々井典比古 作


このすべてひらがなになっているのが味わいがある。

2011年12月26日月曜日

小笠原家の家紋は三階菱

小笠原家は代々弓の名手として知られた家系です。
歴代の中でも七代の貞宗は足利尊氏に弓法を教えました。
また八代の政長葉は足利尊氏・義詮(よしあきら)父子の師範を勤めました。
中でも貞宗は後醍醐天皇に仕えていて、弓馬の秘奥を御覧に入れる機会がありました。
天皇は貞宗の馬術と弓術を御覧になられて、その妙技に感動され、「小笠原流は日本武士の弓馬の技を定めた作法にするがよい」と申され、貞宗は正三位の位を戴きました。
その上、王の一字を家紋にするように仰せられました。
しかし 貞宗は王の字をそのまま家紋にするには あまりにも恐れ多いということで、
下太の三階菱に改めました。それまでは中太の松皮菱を用いていました。
三階菱
松皮菱
本稿は久保田安正著「小笠原屋敷ものがたり」の抜粋して記述します。

2011年12月24日土曜日

「ミツガシワ」と「三つ柏」

先日(2012年12月23日)仲間と春日井植物園に行った際、
案内人のFさんから小さな池に案内され、
ここには絶滅危惧種の「ミツガシワ」があると紹介されました。
花はすでになく、葉も刈り取られている状態で、本来の姿が分らないので、
ネットから写真を拝借しました。
そばにいたKさんが「私の生家の家紋は「ミツガシワ」でした」と。

ミツガシワ
三つ柏

おいおい、家紋の「三つ柏」の「カシワ」はカシ)で、ブナ科コナラ属の常緑高木の一群の総称に決まっとる。
しかし 池に咲く「ミツガシワ」果して、柏紋と関係あり哉否や!
私は過去に 早く決めつけて失敗したことがあるので、今回は慎重に調べることにしました。

柏紋の項が長文になるので結論から話しますと、やはり「ミツガシワ」と「三つ柏」は無関係でした。

まずは柏紋について『日本家紋総覧』(千鹿野茂著)から引用すると
<成り立ち>
古代では柏の葉にご馳走を盛って神に捧げていた。
柏が「神聖な木」と見られた。
柏手を打つとは神意を呼び覚ますことをいう。
柏は神社や神家と切っても切れない縁があるようだ。
柏紋を最初に使ったのは、神社に仕えた神官だったようだ。
公家でも神道を司った卜部氏が用いた。
現在、柏を神紋としている神社は各県に一社はあるという。
<かたち>
普通「葉」を模様化、「実」、「枝」もある。
葉の数は一葉から九葉、
形は「対い柏」、「抱き柏」、最も多いのは「三つ柏」
<使用家>
公家:清和源氏では、今井氏・神尾氏・井上氏。
藤原氏では中御門氏・荻原氏・藤井氏・高橋氏・加納氏。
桓武平氏では長田氏など。
ほかに大江流の境野氏が「上り藤内に三つ柏」。
江戸大名では山内氏・蜂須賀氏・中川氏・牧野氏で、代表的なのは、土佐山内氏と譜代の牧野氏である。
牧野=槙野、槇=神聖な木=柏。
神官では、伊勢の久志本氏は皇大神宮に奉仕し、尾張の千秋氏は熱田大宮司として奉仕した。
筑前の宗像氏、吉野神社の卜部氏等神官に柏紋が多い。備前吉備津神社宮司の大守氏は「庵に柏」という珍しい紋。

参考までに 私が自分で収集した家紋集である『≪実録≫全国墓石家紋巡り』から
代表的なものを列記します。
1枚葉 「八角に一枚柏」名古屋市平和公園 門田家
2枚葉 「丸に抱き柏」岡崎市大樹寺 西山家
3枚葉 「丸に3つ柏」刈谷市十念寺の寺紋、飯田市運松寺 牧野家
「丸に剣3つ柏」碧南市称名寺 金原家
5枚葉 「5つ樫の葉」刈谷市教栄寺 太田家
亀甲  「反り亀甲に蔓3つ柏」刈谷市昌福寺 角岡家

次に「ミツカシワ」 ウィキペディアより抜粋
ミツガシワ(三槲)はミツガシワ科ミツガシワ属の一属一種の多年草。
日本を含め北半球の主として寒冷地に分布し、湿地や浅い水中に生える。
・・・・・この点は「ミカワバイケイソウ」によく似ている。・・・・・
地下茎を横に伸ばして広がる。葉は複葉で3小葉からなる。
4-5月に白い花を総状花序に多数つける。
亜寒帯や高山に多いが、京都市の深泥池や東京都練馬区の三宝寺池など暖帯の一部にも孤立的に自生している。
これらは氷河期の生き残り(残存植物)と考えられ、これらを含む水生植物群落は天然記念物に指定されている。北海道岩内郡共和町の町の花。
睡菜(スイサイ)と称し苦味健胃薬として用いる。
他の文献からも、家紋と関係するような記事は見当たらなかった。

以上より、前述の通り「ミツガシワ」と「3つ柏」は無関係であると結論つけたいと考えます。
これってホントに無駄な検証だったような気がします。

2011年12月21日水曜日

後醍醐天皇の「後」

以前 後醍醐天皇の第4皇子「宗良親王」について、下条村の郷土史研究家の方から話を聞き、
また史学会に同行させていただき、宗良親王の縁の地に訪れたりしたことがありました。
その関係で後醍醐天皇には興味を持っていましたが、最近になって少し疑問を感じるようになったことが発生しました。
それは、後醍醐天皇と醍醐天皇はどんな関係があるのか?という疑問です。

一般的に歴代の天皇の名前は「後」がつくのは先の天皇の皇子の場合に付けると思っていました。ところが 醍醐天皇は60代で西暦900年頃の即位、それに対して後醍醐天皇は96代で西暦1300年頃の即位。実に400年も隔たりがあり、親子関係のはずがありません。
早速ネットで調べてみました。
すると 後醍醐天皇は、醍醐天皇を尊敬しており、醍醐天皇のような政治がしたいと思っていたみたいです。
すなわち「延喜の治」と称され天皇親政の治世を理想としていたということ。

天皇の諡号(いごう)や追号は、通常死後におくられるものだそうですが、
醍醐天皇にあやかって、生前自ら 後醍醐の号を定めていたということがわかりました。
これを「遣諡(いい)」というそうです。
このような例は 72代白河天皇以降(院政)しばしば見られる。父子の関係ではない。
・72代白河ー77代後白河
・73代堀川ー86代後堀川
・74代鳥羽ー82代後鳥羽
・78代二条ー94代後二条
・90代亀山ー99代後亀山

2011年11月16日水曜日

小原の四季桜

自然楽会で小原の四季桜を見に行きました。
空気はひんやりでしたが好天に恵まれ、素晴らしい一日でした。
名古屋の千種駅からチャーターした観光バスに乗りグリーンロード経由で小原へ

そもそも四季桜とは
普通の桜と違い、1年に2度、春と秋に花をつけます。
その由来は、小原北町でお医者さんをしていた藤本玄碩氏が江戸時代に苗を植えたものが始まりといわれています。今では四季桜の保護、増殖に力を注ぎ8000本超えるほどになりました。


まず最初に「前洞の四季桜」
これは県指定の天然記念物







四季桜の1輪をアップしました。
花の色は少しだけピンクがかった
白色でした。







次に「川見の四季桜」
山の頂上付近で紅葉と一緒のポイントで
ぱちり!

空の青さとの対比が抜群でした。